逆で行こう!過去ログ-10-

西武ライオンズを中心に日本プロ野球界のことについて
あえて違った視点から見て考えてみよう。
(基本的に他の掲示板に書いたモノの焼き直しです)

 

トレンディで無いトレンディエース(01.2.8.記)

 90年代前半パ・リーグにはトレンディーエースと呼ばれる選手達が居た。高卒入団3年目で早くも最多勝を取り、工藤達と共に「新人類」で流行語大賞まで取った渡辺久信。細身の長身は何を着ても様になり、坊主・パンチ主流の野球界に革命を起こす程のおしゃれボーイ(死語)。そのおしゃれぶりは一球団のオーナーが見ても気に障るほどで、当時は「金は出すけど口は出さない」と言われていた堤オーナーをして苦言を呈すほどであった。

 高卒の渡辺に対して、大学出身で同じ年にプロ入りし、最後まで新人王を争った近鉄阿波野、日ハム西崎。いわゆる醤油顔(これも死語か?)の阿波野に対してソース顔の西崎と、はっきりとファン層は分かれたが、やはり細身の体は女性ファンの心を捕らえて離すモノではなかった。特に渡辺と同じくファッションにうるさかった西崎の「ホスト」ぶりは鮮やかで、その片鱗はいまだにファンブックカラーページにそこはかとなく漂っていたりする。

 さて順調に勝ち星を重ね、トレンディーでなく実際のエースともなってきた3人だが、人気とは裏腹にその野球人生には暗雲がたれ込めてくる。屈辱の10.19を乗り越え、見事最強(当時ね)西武を倒して優勝の美酒に酔った阿波野だが、仰木監督が野茂と言う新たなおもちゃを手に入れてから、彼の野球人生はおかしくなってくる。ボークすれすれの神業であった牽制を(まぁボークと取られるようになったのだから元々ボークなんだけど)、西武伊原コーチによって見抜かれ、フォーム修正に戸惑いつつ故障。新天地を求め読売に移籍したモノの満足な成績は残せなくなる。

 また3度の最多勝と優勝で、確実に1億円に到達すると思われた年俸更改。清原には提示された1億が、提示されなかった辺りから渡辺の球歴もおかしくなってくる。元々早いだけで軽かった速球はピンポン玉のように弾かれるようになり、技巧派に転向すると宣言してもなかなか速球への思い立ち難く、翌年には速球に磨きをかけると言って しまったりする。そうこう苦悩していくうちに頭は寂しくなり、毎年の契約更改の記者会見が緊張感を持ったモノとなる。東尾就任後もエースを任されたモノのパッとせず、ノーヒット・ノーランを置きみやげにヤクルトに移籍する事となる。

 3人の中では一番エースとして頑張っていた西崎も、フロントと一部ファンには印象が悪かった。すぐに「どこが痛い」と言って休みを取り1シーズンフルに働かない、年俸更改の席では球団批判を交えて毎年ごねる。そんな西崎に対して日ハム球団は解雇同然の条件を提示する。日ハムのエース西崎もその瞬間に終わった。

 読売移籍後パッとしなかった阿波野は、かっての師横浜権藤監督の元で、見事中継ぎとして復活し、もう一度優勝の美酒に酔うこととなる。権藤退陣と共に現役は退く事になったが、読売2軍コーチとして好きな野球を続けれることとなった。ヤクルト自由契約後は文化放送の解説者にも決まっていた渡辺も、野球への情熱捨て難く、薄給単身赴任にも関わらず、球友郭の居る台湾の地に飛ぶ。コーチ兼任ながらも真っ黒に日焼けした彼は、彼の地で見事長年の夢「技巧派」に転向することに成功した。

 そしてまだ日本で現役を続けている最後のトレンディーエース西崎である。日ハムで首を斬られ、自由契約で西武に移り日ハムを見返してやると燃えていた男は、日ハム側の思わぬ抵抗にあい、石井、奈良原と言う出血を西武にさせてしまう。それでも取ってくれた西武球団に彼はとても恩義を感じたわけだ。1年目こそその気持ちが空回りし、日ハム時代以上の夏休みっぷりで西武ファンを切れさせた(奈良原大活躍だったしね)彼だが、2年目はストッパー不在の厳しいチーム事情の中で、故障がちな体を騙し騙し使って見事期待に応えてみせる。昨年はいまいち期待に応えきれなかったが、彼の野球への情熱は、球団もしっかりと解っていて、普通なら「外様エース」など簡単に解雇となるところを、本人とじっくり下交渉をして今年も現役を続けられるように計らった。「年俸は抑えて基本給として、好成績分は出来高で払う」球界で初めて用いられたこのシステム。一見前年度からの8000万ダウンに目を奪われるが、実にベテラン選手の「野球を続けたい」と言う願いを叶える素晴らしい方法だと思う。

 かってトレンディエースともてはやされ、それぞれ写真集のような本まで出された3人の晩年は、思いの外厳しいモノとなった。若い頃のトレンディーのチャラチャラした印象のままだったら、読売定岡のように綺麗さっぱりと引退すると思っていた。だが、3人は違った。3人は3人共とても野球が好きだったのだ。綺麗なまま引退するより、泥まみれになっても野球を続けたい。3人が選んだ生き方は「トレンディーエース」とは対極の生き方だった訳である。最後に残った「西武の」トレンディーエース西崎を今年もしっかりと応援していきたいと思う。

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