H.M.F.出場全選手全レフリー大百科 -4-

今年度更新分には★マークが付いています。

-1-

-2-

-3-

-4-

-5-

-6-

写真

名前(出場興行)

写真

名前(出場興行)

メリケンニンジャ(3回興行出場)

ヤギー四郎(2回興行出場)

 平成2年第3回興行のHMFチャンピオンベルト争奪トーナメントでデビュー。1回戦でK.T.ウージーを敗るものの、2回戦で決勝進出を果たしたドムには惜しくも敗れる。メリケンニンジャと言うだけに技も和洋折衷で、空手系のキックを出したかと思えばカーフブランディングを決めるなどなかなかバラエティに富んだレスラーだ。

 平成元年の第2回興行第1試合にて、マッツ石賀津と組みラッシャー五郎、工藤昭太郎組と対戦したのがデビュー戦である。この興行ではこの試合のみプロレスで、後の試合はすべて異種格闘技戦だったのだが、このタッグマッチの盛り上がり方に比べて他の異種格闘技戦は盛り上がらず、以後タッグマッチがHMFの花形となって行くのだった。

力道さん(20.21回興行、久喜巡業出場)

ルキフィェル羽中田(7〜9回興行出場)

 06年の久喜巡業に突如参戦したヘビー級レスラー。黒のロングタイツは往年のあの選手を彷彿とさせるが、得意なのはむしろ空手チョップよりキック。ただ寸止めはちょっと苦手なので、他のレスラーからはかなり恐れられてる。平均年齢が30歳を過ぎて故障持ちの多いHMF。蹴っちゃ駄目な所は本当に蹴っちゃ駄目だと言う事をいい加減に学習して貰いたい。

 HMF第四代シングルチャンピオン。デビュー戦でいきなりS.D.B.浦山を下してチャンピオンになった馳浩のようなレスラー。デビュー戦では動きづらい格好と取れそうなマスクのせいで、いまいちの試合内容だったが、素顔でファイトするようになってからは、素質が一気に開花しトップレスラーの仲間入りを果たした。

旧(有)エジプトプロレス

 1994年の春に、当時のHMF認定タッグチャンピオンだったドラえもんが、これもHMF認定シングルチャンピオンだったスーパー・デンジャラス・ボンバー・浦山を誘って旗揚げした東野高校第二のプロレス団体。正式名称は有限会社エジプトプロレス。HMFのプロレスには満足できず、自分たちの理想のプロレスを想像することに全てをかたむけていた。発足以来かかげられたテーマは、『ラーメンが主食』『二次元殺法』『現代人には、毒が足りない。毒を食え!』『喘息力』など難解なものが多く一般人には理解しにくい。パーマン、オバQなど藤子不二雄系レスラーが増えてきたところで当初の設立テーマとずれが生じてきたらしく96年第九回興行で活動を停止。所属レスラーはSDB浦山をのぞきFFWに移籍。しかし、97年に入りドラえもんが「全ての源はエジプロに有り」ということを感じ、急遽SDB浦山を呼び戻し、FFWを吸収しエジプロを活動再開させる。しかし2000年、R五朗の勧めもあり、新たな敵モンパンを倒す為に古巣HMFと合併。6年にわたる活動を終了させた。が、復帰したHMFの腐敗に激怒、今後はHMF内に留まりつつ中からHMF正規軍と闘う決意をする。

FFWとは?
 96年第九回興行で一時活動を停止した(有)エジプトプロレスの所属選手のほとんどが移籍し出来た団体。正式名称は藤子不二雄ワイド。エジプロとは違いHMFとは友好関係にある団体を目指していた。ドラえもん、パーマンと二人の藤子不二雄系レスラーを抱えていたエジプロに、番長押方ことオバQが参加することとなり、いっそのこと藤子不二雄を前面に出そうと言うことで設立されたが、結局は再び活動を再開させたエジプロに吸収される。ドラえもんが「FFWは絶対につぶさん!」と大仁田のマネがしたかっただけと言う話しもある。

オバQ(9.10.11.14〜22回興行出場)

ドラえもん(3.4.6〜22回興行、久喜巡業出場)

 正体はHMF一のイケメンレスラーだった番長押方。約束された善玉スターへの道を捨て笑いもとれる総合的レスラーへの道を選ぶ。その為あえて男前顔を封印し特異なくちびるマスクを被る事を選択した。第20回記念興行ではSUGIYAMAX10番勝負のトリとして、自身はマスクを、MAXは髪をかける「マスカラ・コントラ・カベジェラ」を行い完勝。

 数々のベルトを保持したHMF一のスターレスラーだったが、HMFに不満を抱きパーマンらとエジプロを設立、6年間にわたりHMFと数々の死闘を繰り広げるも新たな敵モンパンを倒すためHMFに復帰。ただ復帰してみたHMFは予想以上に腐敗しており、絶望した彼はHMFの浄化の為R五朗と共闘し反HMFを訴える。「俺はホウキとだってプロレスを成立させられる」

パーマン(7〜19回興行、久喜巡業出場)

 正体は一切不明。連係プレーの息の合い方、試合運びの旨さから相当の実力派レスラーであることは間違いない。昨年の興行でR五朗と共闘、04年秋も富士樹海に有るRGファクトリーで秘密特訓を観光し。氷穴、風穴、蝙蝠穴の3つを制覇すると言う快挙を達成。さらに野猿公園では文字通りリアルモンキーバトルで見事な視殺戦を展開、レスラーとしての深みを増した。

東野プロレス

 1996年の春、ラッシャー五郎が旗揚げしたHMF内新派閥。格闘技としてのプロレスを語るHMF体質に辟易し、元々ヒールとして孤立していたラッシャー五郎が、純プロレス化をめざして一人で設立。98年夏に豊富なオイルダラーを元手にエジプロ、HMFの買収に乗り出すが失敗。しかし2000年には長年にわたり抗争を続けていたエジプロを、HMF内に取り込むことに成功。02年モンパンとエジプロを融合させたCOOPプロジェクト。と、歴史が動く時その裏には必ずR五朗が居る。位置づけとしては、平成維新軍。存在としては、剛竜馬かジョージ高野?

COOP(プロレス運命共同体)とは?
 ラッシャー五郎が2002年に、エジプロ、モンパンと言うHMF2大勢力に声を掛けて設立したプロレス運命共同体。だらけきったHMF本体に反旗を翻し、新たなプロレス想像に燃える。イメージカラーは赤で、所属レスラーのリングコスチュームも赤が基調。旧ソビエト連邦(CCCP)を連想させる、赤地に黄色で栓抜きとフォークをあしらった軍団旗を携えて入場する。ただ時節柄「赤」の世間的評判はすこぶる悪く、2002年興行終了後に参加レスラー全員で世界平和を訴え、大団円を迎えたこともあり(ラッシャー五郎だけ反目)発展的解消か?

熊の爪エリック(17〜22回興行出場)

SUGIYAMAX(18〜20回興行出場)

 東野プロレスRGファクトリー出身。プロレス的実力はかなり高く、相手のどんな技をも受け止めてみせる。必殺技は右手の強力な爪、左手はハチミツがたっぷりと付いているので、逆に狩られないように注意。群馬山中で発見されたのをR五朗が捕獲。元々素質があったのかR五朗の指導で大きく開花。ただ時々言う事を聞かなくなるのが玉に瑕である。

  東プロRGファクトリー出身。得意技「MAXボンバー」は、かなり名前先行型の技だったが、放った自分が吹っ飛ばされるというミラクルな展開で観客のハートをワシ掴みにする事に成功。一躍スターダムを駆け上ったかに見えるSUGIYAMAXだが、06年の「泡風呂デスマッチ」に続き、07年は10番勝負&髪切りデスマッチを用意され、「男」になる為の過酷な試練が続く。

★MAXジャクソン(22回興行出場)

偽ラッシャー五郎(12.13回興行出場)

 09年急逝したマイケル・ジャクソンをリスペクトするレスラー。その「なかなか」の再現ぶりに場内は大受け。「MAX・ジャクソンロンドン公演最終リハーサル」と言う冠興行に際して、youtubeでPV鑑賞し、前日にはコレオグラファーの佐藤満の元でムーンウォーク習得に4時間の猛特訓。自分なりのジャクソンを習得。決してディスってるわけでは無い。

 前記したようにその正体は遠藤軍曹である。第12回興行でセコンドに付いていた遠藤軍曹に、突然R五郎がラッシングセットを被せ洗脳。その後ラッシングセットが取れるまでの間、偽R五郎として乱入し暴れ回ることとなる。ラッシングセットさえ被せれば誰もがR五郎になる可能性があるわけで、今後増殖の可能性もおおいにあり得る。

ラッシャー五郎(2〜22回興行、久喜巡業出場)

 HMF初の悪役レスラーで「卑怯」と言われる事を何よりも好む。腰を痛めてからはファイトに精彩を欠いていたが、近年はまぁ動いてる。むしろ特筆すべきなのは政治力で、狡猾な頭脳ととオイルダラーを元にした資金力で、不可能な事は何も無いと豪語し、過去にHMFで起きた殆どの事件に関わっている。マット界の寝業師。

世界(ワールド)

 HMF第二世代の代表格針剣山松井が、自らのテーマとしている「世界」。そもそもはエジプロに対する強烈なライバル心から、スタートした考えだったようだが、HMFの堕落ぶりに飽き飽きし、HMF内にいながらHMFとも考えを別にする独自のスタンスを「世界」と表現しているようだ。

針剣山松井(3〜13.17.18回興行出場)

 HMF唯一の二冠王者。王者陥落後メインから遠ざかっていたが、独自の松井世界を造り上げ復活。その「世界」は日々着々と進化をしている。ここ数年はエース塩田の「松井は忙しいから駄目だ」の一言で興行出場の案内すらなかったらしい(笑)が04年、4年振りにマット復帰。05年も鍛えられた体で観客を圧倒し、完全にメインイベンター復帰を果たした。

次に進む


戻る

HMFに戻る

ホームに戻る