ホーム > 赤龍館 > 中つ国補完計画 >『終わらざりし物語』の引用部分変更予定

『終わらざりし物語』の引用部分変更予定

2021.5.7 高橋 誠

『指輪物語』の電子版では、大きな改訂がありました。『シルマリルの物語』も電子版で若干の変更がありました。

上記にあわせて『終わらざりし物語』の引用部分の索引の変更の予定を纏めました。

次の書籍を使いました。

引用内容は原則として上記の版によりましたが、電子版は頁が一定しないため、頁は下記の版によっています。

修正案の表記については、真鵺道によりました。

引用先の略記は次の通りです。

現ページ引用先引用部分
上11『追』また、ゴンドール一二代の王タランノンに(『指輪物語』[/]追補編[二八/一五]頁に記されているように)子がなかったのは、これまでまったくの謎だったベルーシエル王妃の猫と関係があることなどを知るのは、ただ興味深い詳細が明らかになったというだけではない、大きな価値がある。
上20-21『追』『指輪物語』追補編B「代々の物語」[/九八-九九頁]には「[これ/第二紀]は中つ国の人間にとっては暗い時代であったが、ヌーメノールにあっては全盛期であった。中つ国の出来事については記録の数が少なく、あっても短く、年代もしばしば不確かであった。」
上22『追』ミナス・ティリスでの思い出話に入るべきものだが、載せきれなかったため、ほとんどのところを『指輪物語』追補編A[の三五八頁から三六〇頁/九一頁-九二頁]で簡単に触れるにとどめ、ガンダルフがトーリンを相手に苦労するところは省いている。
上25『二』『王』訳註四
『二つの塔』上
三五三頁一行「……わしらはゴンドールの荒廃を免れた[パランティーア/パランティーア]があったとは知らなかった。会議以外はエルフにも人間にもそんなものがあったことさえ忘れさられ、ただ、アラゴルンの民の間に古くから伝わる歌の中でのみ記憶されておった。」→「……わしらは数々の破壊的な戦いにってきたゴンドールの[パランティーア/パランティーア]の運命に気をとめたことがなかった。それは人間たちにほとんど忘れられておった。ゴンドールにおいてさえ、ごく少数の者だけの知る秘密じゃった。アルノールにおいては、ドゥーネダインの間で歌われる古くから伝わった歌の中でのみ記憶されておった。」
三五三頁一〇行「他ははるか遠方にあった。そのありかを知る者も今はほとんどおるまい。歌にも伝えられておらぬからの。じゃがエルロンドの館での……」→「残る三つは遠く北方にあった。エルロンドの[/やかた]での……」
三五三頁一三行「オスギリアスでは全部を一度に見ることができた。」→「ゴンドールにあるのは全部オスギリアスからすぐ見られるようになっておった。」
三五三頁一九行「他の石が今はどこにあるのか……誰が知ろう?」→「アルノールとゴンドールの失われた石が今はどこにあるのか……だれが知ろう?」
『王の帰還』上
二一七頁一三行「わしは以前からここの白の塔には、オルサンクのように、七つの見る石のうちの一つが保存されていると知っておった。」→「わしは久しい以前からここの白の塔には七つの見る石のうちの少なくとも一つが保存されていると[/にら]んでおった。」
二一七頁一七行「一度ならず使われたのではなかろうか。」→「その使用も度を越してしげくなったのではなかろうか。」
上27『追』(『指輪物語』追補編AⅠ(ハ)[/二六頁]註三で「非常に大きな」と形容されている)
『追』註二 フォロドワイスForodwaithの名が『指輪物語』に現れるのは一箇所だけ(追補編AⅠ(ハ)[/二六頁]註三)、そこでは、北の地の上古の住民で、フォロヘルの雪人の祖先と言われている。だが、シンダール語のワイス (g)waith は、土地とその住民の両方を指す語である(エネドワイス Enedwaith を参照)。父の略図の一つではフォロドワイスと「北方荒地」は、明白に同じであるとされているように思われるし、また別のところ(『旅の仲間』下二九七頁)では、「北の[/]」と訳されている。
上37『シ』註一 『シルマリルの物語』三三六[頁から/]三三七頁に、ブリソンバールとエグラレストの港はニアナイス・アルノイディアドの翌年に破壊され、そこにいたファラスのエルフたちの生き残りの者はキーアダンとともにバラール島に逃れ、「ここまで辿り着く者たちのために避難場所を作り上げた。かれらはシリオンの河口にも足掛かりを持っていて、そこにはたくさんの軽くて船脚の速い船が、森のように葦がい茂る小さな入江や川辺に隠されていたからである。」とある。
上41『シ』註三 ふたりのエルフ、ゲルミアとアルミナスについても言及がない。しかしこのふたりはトゥーリンの物語の方に(『シルマリルの物語』三六一―三六二頁)、ナルゴスロンドにウルモの警告をもたらす使者として登場している。
上43『シ』註四 『シルマリルの物語』一五一頁に、モルゴスがこの地で、シルマリルをめぐってウンゴリアントと争うくだりがある。「その時、モルゴスは、山々をもゆるがすほどの恐ろしい叫び声をあげた。それ故、後にこのあたりはランモスと呼ばれるに至った。かれの声のこだまがその後もずっとこの地に生き続け、この地で叫ぶ者があれば、その谺の眠りを覚まし、丘陵と海のはざまの荒地は、断末魔の叫びの如き恐ろしい叫喚で満たされたからである。」ここではしかし、そこで音をたてると何倍にも増幅されてしまうような地形の場所、という構想だった模様で、そのアイデアは『シルマリルの物語』第十三章の冒頭にも、はっきりと現われている。ここ(一九一頁)には(本書の文章とひどく似ているが)「この海岸にノルドールが足を印したその時、かれらの叫び声は山々に吸収されて増幅し、力強い無数の声の叫ぶが如きどよめきが、北方の海岸という海岸をとよもした。」とある。一つの「説」によれば、ランモスとエレド・ローミン(こだま山脈)の名前の由来は、この地でウンゴリアントの網にかかったモルゴスがあげたすさまじい叫びのこだまをとどめているということであり、もう一つの説によれば、これらの名前は、この一帯が音を増幅するような地形になっているところからきた単純な呼び名である。
上45『シ』註五 『シルマリルの物語』三六六頁参照。「一方、トゥーリンは、今は人気ひとけもないナログとテイグリンの間の土地を通り抜け、北へ道を急いだが、俄かに過酷な冬がかれを見舞った。この年は、秋も過ぎ去らぬうちに雪が降り、春の訪れは遅々として、いつまでも寒さが去らなかったからである。」
上47『シ』註六 『シルマリルの物語』二二三頁で、ウルモがヴィンヤマールのトゥアゴンのもとに現われてゴンドリン行きを命じる場面では、次のように語られている。「それ故、ノルドールの呪いは、終局には汝にも下り、汝の城郭のうちに裏切りが目覚めるであろう。その時、汝の都は大火の危険にさらされるであろう。だが、この危険がいよいよ現実のものになる時があれば、ほかならぬこのネヴラストより、汝に警告する者が現われるであろう。そしてその者から、滅亡と大火を越えて、エルフと人間にとっての望みが生じるであろう。それ故、この館に武具と剣を置いてゆくがよい。きたるべき日に、かれがそれを見いだし、かくて汝がかれをそれと知り、欺かれることがないように。」そしてウルモは、残してゆくべきかぶとよろいつるぎの種類と大きさをトゥアゴンに告げた。
上49『シ』註八 これはウルモがゲルミアとアルミナスによってナルゴスロンドに伝えた警告を指しているのだろう。『シルマリルの物語』三六一―三六二頁参照。
上51『シ』註九 「影の島々」とはおそらく、『シルマリルの物語』第十一章末尾[/(一八六頁)]にある「惑わしの島々」のことらしく思われる。それはヴァリノール隠しの時代に置かれ、「北から南まで数珠じゆずつなぎに連なって、小暗い海に浮かんでいた。」[(『シルマリルの物語』一八六頁)/]
上53『シ』註一〇 『シルマリルの物語』三三七頁参照。「トゥアゴンの命により、[ニアナイス・アルノイディアドの後]キーアダンは七隻の速い船を建造した。使者たちは船出して西方に向かったが、その消息は、最後の一隻を除いて二度とバラール島にもたらされることはなかった。この最後の船に乗り組んだ者たちは、長い間海上で苦労を重ねた末、ついに絶望して引き返し、中つ国の岸辺が見えるところで烈しい嵐に遭遇し、船は水中に没した。しかし、そのうちの一人がウルモによってオッセの怒りから救われ、波に運ばれてネヴラストの岸に打ち上げられた。かれは名をヴォロンウェと言い、ゴンドリンから使者としてトゥアゴンが送り出した者の一人である。」同[じく『シルマリルの物語』/]四〇三頁も参照のこと。
上55『シ』註一一 『シルマリルの物語』第十五章でウルモがトゥアゴンに語った時の言葉は次のようなものである。「ノルドール族の真の望みは西方にあり、大海よりもたらされることをおぼえておくがよい」また「だが、この危険がいよいよ現実のものになる時があれば、ほかならぬこのネヴラストより、汝に警告する者が現われるであろう。」(『シルマリルの物語』二二三頁)
上57『シ』訳註一 『シルマリルの物語』二一三頁を参照。「ノルドール族がこの地に移ってきた頃、多数の灰色エルフたちが、ネヴラストの海岸寄りの地方、特に南西のタラス山周辺に住みついていた。…かれらはみな、トゥアゴンを主君と仰ぎ、ノルドール族とシンダール族の混合は、この地で最も早く行われた。」
上63『シ』註一五 『シルマリルの物語』三五八頁参照。「しかし、国王オロドレスの娘フィンドゥイラスは、かれ[グウィンドール]を認め、喜んで迎えた。ニアナイス・アルノイディアドにかれが出て行く前、かの女はかれを愛していたからである。グウィンドールもまた、かの女の美しさを非常に愛して、かの女をファイリヴリンと呼んだ。<イヴリンの水にきらめく陽光>の意味である。」
『シ』註一七 この道については『シルマリルの物語』三五一頁に記述がある。「…古い道…この道は、シリオン川の長くて狭隘きようあいな谷間を通り、かつてフィンロドのミナス・ティリスが立っていた島のそばを通り、マルドゥインとシリオンに挟まれた土地を抜け、ブレシルの森の外れを通過して、テイグリンの[/渡り瀬]に続いていた。」
上67『シ』註二〇 『シルマリルの物語』三四三頁で、ドリアスのベレグはトゥーリンに(この物語よりも何年か前のことになるが)オークがアナハの山道を抜ける道路を作り「かつては平和な地であったディンバールも、いまや黒い手に落ちようとし」ていると述べている。
『シ』註二一 マイグリンとアレゼルがゴンドリン指して逃げ、エオルに追いかけられたのはこの道である(『シルマリルの物語』第十六章[/二四一頁])。またのちにケレゴルムとクルフィンがナルゴスロンドから放逐された時にとった道でもある(同[じく/]三〇五頁)。
上69『シ』註二四 『シルマリルの物語』二二二頁参照。「しかし[/]この環状の山脈の下には、世界[の暗黒時代/がまだ暗い頃]に、外に流れ出てシリオンの流れと合流する水の力によって穿うがたれた深い抜け穴があった。トゥアゴンは、この抜け穴を発見して、山脈に取り囲まれた緑の平野に出た。そして、その平原に立つ小島のような丘が、硬い滑らかな石でできているのを見た。この谷間は昔、大きな湖だったのである。」
上71『王』『シ』註二五 『シルマリルの物語』には、大鷲がかつてサンゴロドリムに住まっていたとは書かれていない。第十三章[(一九八頁)/一九八頁]にマンウェが「大鷲おおわしの種族を送り出し、北方の峨々ががたる岩山にまわせて、モルゴスを見張るよう命じていたからである」とはあり、一方、第十八章[(二七〇頁)/二七〇頁]では「クリッサイグリムの峰なる高巣から急ぎ飛び立ってきた」ソロンドールが、アングバンドの城門の前のフィンゴルフィンの亡骸なきがらを救い出している。さらに『王の帰還』下第四章[一三二頁/一〇五頁]には「[中つ国/なかくに]がまだ若い頃、環状山脈の近寄り得ない山頂にその巣を作った、ソロンドールの…」とある。
上73『シ』註二六 『シルマリルの物語』二三〇[頁から/]二三一頁も参照のこと。シンゴルの勅令の後、「[流謫/流謫るたく]者たちは、日常の用にはすべてシンダールの言葉を用い、西方の正統語は、ノルドールの公子たちの間でのみ話された。しかしながら、ノルドールの言葉は、ノルドール族がわずかでも住んでいるところではどこでも、伝承の言葉として生き続けた。」
上79『二』註二七 「何故ならこの花は四季を通じて咲き、死者の奥津城おくつきどころに育つからじゃ。」(『二つの塔』上第六章「黄金館の王」一八六頁)
『シ』註二八 『シルマリルの物語』一七〇―一七一頁には、シンゴルがベレグオストのドワーフたちに多くの真珠を報酬として与えたとある。「これらの真珠は、キーアダンがシンゴルに与えたもので、バラール島周辺の浅い水域でたくさん採取された真珠だからである。」
上81『シ』註二九 泉のエクセリオンは『シルマリルの物語』の中では、ニアナイス・アルノイディアドの後でシリオンへと退却する際、ゴンドリンの軍勢の側面を守ったトゥアゴンの大将のひとりである[/(三三四頁)]。また都の急襲の時にはバルログの王ゴスモグを殺すが、自身もゴスモグに殺された[/(四〇九頁)]。
上82『シ』註三一 さらにつけ加えておくと、トゥアゴンの妻のエレンウェは遥か昔、フィンゴルフィンの軍勢がヘルカラクセを渡る時に亡くなっている(『シルマリルの物語』一六七頁)。
上87『シ』註一 「ナルン・イ・ヒーン・フーリン」のこの部分の原稿には、フーリンとフオルのゴンドリン滞在について記した文章があった。その文章は、『シルマリルの物語』の「原本」の一つとなったくだりに語られている物語に密接に依存している――その差異はほんのわずかでしかないため、ここに再び載せることはしなかった。この物語については『シルマリルの物語』二七五[頁から/]二七八頁で読むことができる。
『シ』訳註一 『シルマリルの物語』[三二四―三二五頁/四〇六頁]参照。「もしここでかれら[エルダール]が再び力を合わせ、新たな同盟と公会議を持つことができなければ、モルゴスはかれら全員を次々に滅ぼしてゆくであろう。そこでマイズロスは、エルダールの未来の浮沈をかけて、『マイズロスの連合』と今日呼ばれている提唱を行った。」
上99『シ』註二 「ナルン・イ・ヒーン・フーリン」の原稿のこの部分には、ニアナイス・アルノイディアドについて記述したくだりがあったが、註一に記したのと同じ理由で省いた。『シルマリルの物語』三二四―三三八頁参照。
上111『シ』註四 この部分のハドルの兜についての記述と、ニアナイス・アルノイディアドでベレグオストのドワーフが被った「見るも恐ろしい大きなめん」で「かれらを敢然と龍の火に向かわしめたのである」(『シルマリルの物語』三三二頁)とを比較のこと。後にトゥーリンは、ナルゴスロンドを出陣するにあたって、ドワーフの仮面を装着している。「敵はその面を見ただけで逃げ出した。」(同書三五九頁)。
上139『シ』註一二 『シルマリルの物語』[(三四四―三四六頁)/三四四―三四六頁]で物語は次のように続いている。ベレグのトゥーリンとの別れ、トゥーリンの不思議な予知が、かれの運命がかれをアモン・ルーズに連れて行くことを告げたこと、ベレグがメネグロスに帰参し(ここでかれはシンゴルからアングラヘルを、メリアンからレンバスを賜る)、一旦ディンバールのオークとの戦闘に戻ったこと。
上145『二』註一五 フロドがサムとゴクリとともにイシリエンの地で行きあった黄色い花の針金雀枝の藪も、「下の方はやせてひょろっとしていても、上の方は枝葉が茂り」、ホビットはその下を立ったままでも歩くことができた。「乾いた長い通路を通り過ぎ」、そして針金雀枝の木は花をつけており「暗闇に照り、かすかな芳香を放っていました。」(『二つの塔』下第七章一八九頁)
『シ』註一六 小ドワーフのシンダール語名は、別のところではノイギス・ニビン(『シルマリルの物語』三四九頁)またはニビン=ノグリムとある。ナルゴスロンドの北東に位置している「シリオンの谷とナログの谷の間に広がる荒れた高地」(前述上一四四頁)は、ニビン=ノイグ(またはこの名の変形)の荒れ地として一度ならず言及されている。
上149『シ』註一八 アンドローグの呪いは「死を目前にひかえた窮地でやつの手に弓がわたることなかれ。」という形でも記録されている。結果として、ミームが死に遭遇したのは、ナルゴスロンドの門前で、フーリンの刃にかかってである(『シルマリルの物語』三九二頁)。
上151『シ』トゥーリンが、バル=エン=ダンウェズに来てからナルゴスロンドの陥落までの物語は、『シルマリルの物語』三四八―三六七頁参照。また「ナルン・イ・ヒーン・フーリン」の補遺参照。
上163『シ』註二一 『シルマリルの物語』[/三六九頁]に語られた通り[(三六九頁)/]、ブランディアの不吉な予知は、「ドルラスのもたらした知らせ」を聞いた後に閃いている。
上171『シ』註二三 『シルマリルの物語』[(二一八頁)/二一八頁]によれば、ファロス高地、つまりタウア=エン=ファロスは「広大な森林高地」である。ここでの描写は「茶色くむきだし」である。おそらくこれは春の初めの落葉した状態を見ているのだろう。
上211『シ』『シルマリルの物語』のこれに続く本文中には、ベレグがいかにしてバル=エン=ダンウェズへの道を捜し当てたのかについての記述は、一切ない。かれは「冬の日も暮れて夕闇の迫る頃」に、「突然かれらのところに現われた」のである[/(三四九頁)]。
『シ』(この階段を伝って、無法者の何人かがオークの襲撃時にバル=エン=ダンウェズから逃れたと『シルマリルの物語』三五二頁にある)
上212『シ』ベレグが袋からレンバスを取り出した際(『シルマリルの物語』三五〇頁)トゥーリンがそれを拒否したことはここで言及すべきだろう。
『シ』ドル=クーアルソル、弓と兜の国に関する、やや詳細に書かれた文が見つかっている。そこには、ベレグとトゥーリンはアモン・ルーズを本拠として、一時期、テイグリンの南の地域の強大な軍勢の司令官になっていたとある(『シルマリルの物語』三五一頁)。
上215『シ』(『シルマリルの物語』三五九頁では、かれはナルゴスロンドの武器庫で見つけたドワーフの仮面をかぶったと記されている)
上216『シ』ナルゴスロンドにおけるトゥーリンの方針に対するグウィンドールの反対の、その性質や内容についての記述があるが、これは『シルマリルの物語』[の中/三六一頁]ではごく簡単にしか言及されていない[(三六一頁)/]。
上221『シ』グウィンドールは、フィンドゥイラスのトゥーリンへの愛に警告を与え、かれの正体を明かしているが、この内容は、『シルマリルの物語』[/三六〇頁]の文章に密接にかかわっている[(『シルマリルの物語』三六〇頁)/]
上223『シ』それから、『シルマリルの物語』[(三六〇頁)/三六〇頁]にある通り、トゥーリンはかれの真の名前を明らかにしたことに対し、グウィンドールを責めた。
『シ』そのくだりは、ナルゴスロンドの滅びの年に訪れたゲルミアとアルミナスというふたりのエルフのことをかなり詳しく説明している(『シルマリルの物語』三六一―三六二頁)。
上237『旅』註一 マルローン樹に関するこの記述は、レゴラスがロスローリエンに近づいた時仲間たちに語ったものと似ている(『旅の仲間』下第六章二二一―二二二頁)。
上239『追』註二 バラヒアの指輪についての物語は、『シルマリルの物語』第一九章に語られており、そのさらに後の歴史については『指輪物語』追補編A[/]Ⅰ(ハ)二四頁および(ホ)五三頁[/]にある。
上246『追』『指輪物語』追補編B「代々の物語」[/一〇〇頁]の年表の、六〇〇年のところにはこうある。「ヌーメノール国の船団はじめて中つ国沖合に現われる。」([一〇〇頁)/]。
上249『シ』註七 『シルマリルの物語』七一頁にはこうある。「ヌーメノール[/]人たちは、長い間かの女に守られて暮らし、かの女をヴァラールにも劣らぬほど崇めていた。」
上251『シ』註一〇 『シルマリルの物語』二六一頁を参照。「この王家[ベオル家]の人々は、黒もしくは茶色の髪と灰色の目を持ち……」。
『シ』註一〇 訳註『シルマリルの物語』五〇四頁のベオル家の系図にベレスの名前は見当たらないが、
上255『シ』註一四 [/『シルマリルの物語』]「アカルラベース」[(『シルマリルの物語』四五七頁)/四五七頁]に、アル=ファラゾーン王の治世のこととして次のような記述がある。「そして、ヌーメノール人の大きな船が水に沈んで港に戻らないこともしばしばあった。かの星が現われて以来、このような嘆きがかれらに訪れたことはなかったのである。」
上259『シ』註一七 [/『シルマリルの物語』]「アカルラベース」[(『シルマリルの物語』四三六頁)/四三六頁]に次のようにある。「そして時折、大気が澄みわたり太陽が東にある時、かれらは遠く西[/]を見渡して、遥かな岸辺に白く輝く都市と大きな港と塔を望見することがあった。その頃、ヌーメノール人は遠目がいたのである。しかし、いかに遠目が利いたにせよ、これほど遠くを見ることができたのは、かれらの中でも最も鋭い目を持つ者たちに限られていた。かれらは恐らく、メネルタルマから望み見たのであろう。でなければ、西岸から許される範囲内で沖に出た高い船から望見したのであろう。……しかしかれらの中の賢人たちは、この遠い陸地が、実はヴァリノールの至福の[/]ではなく、不死の地の東端エレッセアのエルダールの港アヴァルローネであることを知っていた。」
上267『シ』註一九 (『シルマリルの物語』には、これについて何の言及もない。ただ、フィンゴルフィンの時代にドル=ローミンにいたハドルの民は自分たちの言葉を忘れず、「そしてかれらの言葉から、ヌーメノールの共通語が出てくるのである。」[二六〇頁]と記されている。)
『シ』註一九 ([/『シルマリルの物語』]「アカルラベース」四四三頁参照のこと。「それでも、王[/]譜には、上のエルフ[/の言葉]でヘルヌーメンという名が記された。」)
『追』註一九 『指輪物語』追補編FⅠ[(「人間のことば」の項一七六頁)/「人間のことば」一七六―一七七頁]で、このことについて言及している箇所を見ると、ヌーメノールの言語の中におけるシンダール語の位置について、やや違った印象を受ける。「全人間族の中で、ただドゥーネダインだけが、エルフの言葉を知っており、話すことができた。なぜなら、かれらの父祖たちがシンダール語を習得し、これを伝承の学として、時代の経過にもほとんど変化をこうむることなく、次代へと伝えていったからである。」
『旅』『王』註二〇 エラノールは、星形をした黄金色の小さな花である。この花はロスローリエンの、ケリン・アムロスの丘にも咲いていた。(『旅の仲間』下第六章二五二頁)フロドの助言を得て、サム・ギャムジーはその娘にこの名をつけた。(『王の帰還』下第九章[/二五二頁])
上279『シ』註二三 (『シルマリルの物語』「アカルラベース」四四五頁に「[/]アンドゥーニエの領主は[/]常に王の最高顧問官のひとりであった。」とある)
上294-295『追』タル=アルダリオンはこの変更を「政策的な見地というよりも、個人的な事情によって、エレンディスをうち負かしてやろうとの、かねてからの考えから行なった」のだと、はっきりと伝えられている。法の変更については、『指輪物語』追補編AⅠ(イ)[(一〇頁)/一〇頁]に述べられている。
上304『シ』註一 たとえば、[/『シルマリルの物語』]「アカルラベース」[(『シルマリルの物語』四三五頁)/四三五頁]にも、エルロスの家系の者は「ヌーメノール人の基準に照らしても長命であった」とある。
上305『追』註四 だが[「代々の物語」(/]『指輪物語』追補編B[一〇〇頁)/「代々の物語」一〇〇頁]には、かの女の誕生は五四八年と記されている。
上307『追』註八 『指輪物語』追補編[(一〇頁)/一〇頁]にある、すなわち性にかかわらず単に長子であること(上二九四-二九五頁参照)という新法の方式によったものであろう。
上309『追』註一〇 [/『指輪物語』追補編B]「代々の物語」[(『指輪物語』追補編B一〇一頁)/一〇一頁]にはこうある。「二二五一 タル=アタナミア王位につく。ヌーメノールの反乱と分裂始まる。」
『シ』註一〇 さらに、[/『シルマリルの物語』]「アカルラベース」[(『シルマリルの物語』四四一頁)/四四一頁]には、アタナミアの息子アンカリモンの時代にヌーメノールの国民は二派に分裂したとある。
上311『追』註一一 『指輪物語』追補編A[(Ⅰ(イ))/Ⅰ(イ)]のヌーメノールの王、女王の名前の一覧では、タル=カルマキル(第十八代)の次の統治者はアル=アドゥーナホール(第十九代)になっている。追補編B「代々の物語」では、アル=アドゥーナホールが王笏を取ったのは二八九九年となっている。これをもとに、ロバート・フォスター氏は、The Complete Guide to Middle-Earthで、タル=カルマキルの没年を二八九九年としている。一方、追補編Aのヌーメノールの統治者たちの記述の後半(一一頁)では、アル=アドゥーナホールは第二十代の王と呼ばれている。
『シ』「アカルラベース」を編纂するに当たって、わたしは「第二十代の王が父祖伝来の王笏おうしやくを受け継いだ時、かれは、アドゥーナホール、即ち〈西方の王〉なる名称で王位に登り……」を「第十九代の王が……」(『シルマリルの物語』四四三頁[*訳註参照])に、そして同じく「すでに二十四人の王、女王が……」を「二十三人の……」([『シルマリルの物語』/同書]四四七頁[*訳註参照])と現在の解釈に変更した。
上313『シ』註一四 [/『シルマリルの物語』]「アカルラベース」[(『シルマリルの物語』四四六頁)/四四六頁]によると、ギミルハードは「二百歳にまだ二年を余す年齢で世を去った(これは、衰退期にあるとはいえ、エルロスの血を引く者としては早死にであると考えられた)。」とある。
『シ』註一五 [/『シルマリルの物語』]「アカルラベース」[(『シルマリルの物語』四四五頁)/四四五頁]には、「インジラドゥーンは王位につくと、再び昔のようにエルフ語の称号を用い、タル=パランティアを名乗った」とあり、
『追』註一五 [/『指輪物語』]「代々の物語」[(『指輪物語』追補編一〇一頁)/一〇一頁]には「三一七五 タル=パランティ[/]の悔悛かいしゆん。ヌーメノールの内戦」とある。
上317『旅』『旅の仲間』下第七章[/二六三頁]の、フロドに向けたガラドリエルの言葉の中にも、同様の考えをみることができる。そこでかの女は、ケレボルンについて次のように述べている。「殿はこの世の黎明れいめいの日から西方に住まい、わらわもまた数えることもできないほど長の年月を殿とともに生きてきました。ナルゴスロンドあるいはゴンドリンの没落以前にわらわは霧ふり山脈を越え、われらは時代の移り変わる中を長い敗北の戦いを戦ってきたのです。」[(二六三頁)/]。
上317-318『追』一方、『指輪物語』の追補編B[/九九頁]には、もっと後期の形の物語が載せられている。それによると、第二紀の初めには、「ルーン[(青の)/]川の南のリンドンには一時、シンゴルと血のつながるケレボルンが住んでいた。かれの妻はエルフの婦人の中でもっとも偉大なガラドリエルだった。」[(九九頁)/]。
上321『旅』(『旅の仲間』下第七章二八一頁)「ところがその指輪がついにやってきました。そなたは惜しげもなくそれをわらわにやろうといわれる! 冥王に代わって女王を擁立ようりつしようといわれる。」
『シ』 『シルマリルの物語』[によると(一五六頁)/一五六頁によると]、ヴァリノールにおいてノルドールが反乱を起こした時、ガラドリエルは、

切に行くことを願った。かの女はいかなる誓言も立てなかったが、中つ国に関するフェアノールの言葉が、かの女の心に火をつけた。かの女は無防備の広大な地をその目で見て、その地で自分の思い通りに統治する王国が欲しいと切に望んだからである。

上322『シ』アングロドはメネグロスでシンゴルに、フィナルフィンの親族はテレリ族の殺戮に対しては罪がない、という以上のことは言っていない(『シルマリルの物語』二二九頁)。
上326『シ』そしてかれらはしばしの間、ネヌイアル湖(ホビット庄の北にあるイヴンディム湖のこと)に住まった。ここでケレボルンとガラドリエルは、エリアドールのエルダール、エレド・リンドンを西へ越えてオッシリアンドに入ったことのないナンドール起源の流浪者たち[『シルマリルの物語』一七三頁参照。]をも含む、すべての者たちの殿および奥方とみなされるようになった。
『シ』しかしついにガラドリエルは、遠い昔にメルコールが捕縛された時と同様に[『シルマリルの物語』一〇四頁を参照。]
上327『旅』註三 『旅の仲間』上第二章七四頁を参照。「東から西へ走る古い街道が、ホビット庄を通って、終着点の灰色港に達していました。ドワーフたちは、いつもここを通って青の山脈にある金鉱に行くのでした。」
『追』註四 『指輪物語』追補編AⅢ七九頁に、サンゴロドリムの崩壊に際し、ノグロドとベレグオストの古い都が滅んだとある。しかし追補編B「代々の物語」九九頁には次のようにある。「四〇 この頃多くのドワーフ、エレド・ルインの古い町々を去り、モリアに移住、ためにモリアの人口が増大する。」
『シ』だがこの攻撃に加わっていたのはノグロドの軍勢のみであり、かれらはサルン・アスラドの戦いで撃滅されてしまっている[『シルマリルの物語』三九八頁]。
上328『追』『シ』『指輪物語』追補編B(改訂版のみ)に記されているように、フェアノールの子孫であると原稿は修正されている。さらに詳しいことは『シルマリルの物語』[(三〇五頁)/三〇五頁]に語られている。そこではかれはフェアノールの五番目の息子クルフィンの息子であり、ケレゴルムとクルフィンが軍勢を動かした時父親と不仲になり、ナルゴスロンドに留まった、とされている。
『旅』[モリアの西門の銘に、ガンダルフは次のような言葉を読んだ。イム ナルヴィ ハイン エハント。ケレブリンボール オ エレギオン テイサント イ シウ ヒン。「われ、ナルヴィ、これを作りぬ。柊郷ひいらぎごうのケレブリンボール、この図を描きぬ。」『旅の仲間』下第四章[(一七一頁)/一七一頁]]。
『追』『シ』[エレギオンの起源に関するこの話は、[/シルマリルの物語』]「力の指輪と第三紀のこと」[(『シルマリルの物語』四六八頁)/四六八頁]で語られていることと一致するが、その中にも、また『指輪物語』追補編B[(九九頁)/九九頁]に若干ある記述にも、ガラドリエルとケレボルンの存在への言及はない。後者においては(やはり改訂版のみ)、ケレブリンボールがエレギオンの領主と呼ばれているくらいである。]
上330『シ』その地に住んでいたのは、クイヴィエーネンからのエルダールの大いなる旅を放棄して、アンドゥインの谷間の森に住みついたエルフたちだった(『シルマリルの物語』一七三頁)。
『シ』一方リンドンでは、ギル=ガラドが、サウロンの使者もサウロン自身さえも、その地からしめ出した。[[/『シルマリルの物語』]「力の指輪と第三紀のこと」[(『シルマリルの物語』四七〇頁)/四七〇頁]に詳細なことが語られている。]
上331『シ』註七 ([/『シルマリルの物語』]「力の指輪と第三紀のこと」四七〇頁では、そのおりサウロンが名乗ったのはアンナタール、「物贈る君」という名だったとある。しかしここにはその名への言及はない。)
『シ』註七 [/『シルマリルの物語』]「力の指輪と第三紀のこと」の冒頭の一節を比べてみよう。「その昔、マイアのサウロンがいた。……アルダの草創期に、メルコールに誘惑されて臣従し……」
上333『追』『指輪物語』追補編A[(Ⅲ)/Ⅲ一〇四頁]には、ドゥリンの一族のドワーフたちの間では、カザド=ドゥームの王ドゥリン三世の指輪はエルフの細工師自らの手によって渡されたのたと信じられている、と記されているが、
上335『シ』註一〇 [/『指輪物語』]「代々の物語」[(一〇八頁)/一〇八頁]によると、白の会議の結成されたのは第三紀二四六三年であったとされている。
上341『王』註一四 ドル=エン=エアニルの名の起源についてはどこにも述べられていない。この名が出てくるのは他には、『王の帰還』上のローハンとゴンドール、モルドール付近の拡大地図のみである。この地図によると、それは、ドル・アムロスと山をはさんで向かい側の場所になっているが、
上343『旅』ガラズリムたちの住む舞台プラツトフオーム(『旅の仲間』下第六章二三八頁を参照)
上345『旅』一つは『旅の仲間』下第六章[(二三〇―二三四頁)/二三四頁]で、そこでレゴラスは、アムロスとニムロデルの歌を歌ったあとで、こう言う。「そしてアンドゥインはローリエンのエルフたちが船出するベルファラス湾にそそぎ込んでいるからです。」
『王』もう一つは、『王の帰還』上第九章[(二四八頁)/二四八頁]で、レゴラスは、ドル・アムロスのイムラヒル大公を見て、かれが「エルフの血がその体内をめぐっている」人物であるのを知り、かれに言う。「ニムロデルの一族がローリエンの森を去ってからずいぶんたつわけですが、全部が全部アムロスの港から船出して西のかたへ海を渡って行ったわけではないことがわかります。」イムラヒル大公はそれにこたえて言う。「わたしの国のいい伝えではそのようにいわれています。」
上346『シ』かれらはニアナイス・アルノイディアドにつづく年、滅亡に瀕した時に、ブリソンバールあるいはエグラレスト(ベレリアンドの西の岸にあるファラスの港)から逃れたが(『シルマリルの物語』三三六―三三七頁)、
上347『シ』註一八 ベルファラス湾にあったエルフの港の位置は、ポーリン・ベインズ氏による中つ国の装飾地図にあるエゼルロンド(「エルフの港」の意。『シルマリルの物語』「クウェンヤ語およびシンダール語の固有名詞を構成する主要部分」の、edhelとlondëの項を参照)という名で示されている。
上351『旅』註一九 これは、『旅の仲間』下第八章[の一節(二九九頁)/二九九頁の一節]と一致している。そこでガラドリエルは、アラゴルンに緑の石を渡して言う。「この時にあたり、そなたはそなたのために予言された名、すなわちエレンディル王家のエルフの石、エレッサールを名乗られるがよい!」
上353『シ』最後に、この物語において、シリオンの港でエレッサールによるものとされた癒しの力が、『シルマリルの物語』[(四一八頁)/四一四頁]ではシルマリルに帰せられたことには、注目すべきであろう。
『追』『指輪物語』追補編AⅢ[/八〇頁]にはこのことは「闇の森にある影」と呼ばれている。
『旅』註二一 『旅の仲間』下第八章二九九頁にある、エルフの石の描写と比較のこと。「そして奥方[ガラドリエル]がひざから持ち上げたのは澄んだ緑色の大きな宝石で、翼を広げた鷲の形に細工された銀のブローチにめられていました。奥方が持ち上げると、宝石は、春の若葉ごしに照る太陽のようにきらめきました。」
『追』註二二 『王の帰還』下第九章二五六頁で、エルロンドの指に青の指輪が認められる箇所で、それは「三つの指輪のなかでもっとも力ある指輪、ヴィルヤ」と呼ばれている。
上355『旅』『旅の仲間』下第六章[/二三六頁]を参照。そこでフロドは、シルヴァン・エルフが自分たちの間で使っている言葉が、西方のエルフのものと違っていることを記録する
『追』シルヴァン語の名についてのこれらの記述を、『指輪物語』追補編FⅠ「エルフの言葉」[の項の註釈/一七五頁註一](改訂版にしかない。[一七五頁/])と比較のこと。
上356『追』『指輪物語』追補編B「代々の物語」[/九九頁]の第二紀の頭記[(九九頁)/]には、次のようにある。「しかしバラド=ドゥーアの築城前に、シンダールの多くは東の方に移り、中には遠く離れた森林に王国を築く者もいた。森に住んだのは主にシルヴァン・エルフである。緑森大森林の北に君臨する王、スランドゥイルもこのひとりである。」
上359『追』『指輪物語』[/]追補編A二九頁に、ヒャルメンダキル一世(第三紀一〇一五―一一四九年)の時代、その国力が絶頂に達したゴンドールは、北は「ケレブラントと闇の森の南辺に」まで達していた、とある。父も何回かまちがえているのだが、これは正確には「ケレブラントの野」と読むべきなのだ。中つ国の言語の相互関係についての父の後期の文書によると、
上361『追』グランドゥイン(「境界の川」)はモリアの南の霧ふり山脈から発し、サルバドのかみでミスエイセルと合流している。『指輪物語』にあるもともとの地図にはこの名は記されていない(同書[の中に/]一回[追補編AⅠ(ハ)一八頁]出てくるだけである)。
上365『王』『王の帰還』下第六章[(一七二頁)/一七二頁]では白鳥川(Swanfleet riverでRiverと大文字ではない。)と呼ばれているが、
『旅』『追』サルバドが『旅の仲間』下第三章[(一一五頁)/一一五頁]では「[廃墟/廃墟はいきよ]の町」として言及され、ロスローリエンでボロミアは、灰色川を渡ろうとした時サルバドで馬を失った、と語っている(同[/]第八章二九七頁)ことだろう。[「代々の物語」(一一一頁)/『指輪物語』追補編B「代々紀」一三〇頁]によると、サルバドが廃墟と化して、無人の地となったのは第三紀二九一二年、大洪水がエネドワイスとミンヒリアスを荒廃せしめた時のこと、となっている。
上366『追』というのは、[/『指輪物語』]「代々の物語」[(一〇一頁)/一〇一頁]によると、ペラルギアは第二紀二三五〇年にはじめてつくられ、ヌーメノール節士派の主要港となったからである。
上367『シ』たとえば、アラターリエルという名は、ふたりの関係の物語の後期のもの(上三二二頁を参照)によると、アマンでケレボルンがガラドリエルに与えたのであるが、これはエペッセである(この名の語源については『シルマリルの物語』「クウェンヤ語及びシンダール語の固有名詞を構成する主要部分」[/八〇一頁]のkal-の項を参照)。
『シ』ケレボルンという名は、はじめに考え出された時は「銀の木」を意味するはずだった。これはトル・エレッセアの木の名前でもあった(『シルマリルの物語』[一一七/一四三]頁)。
下13『追』註一 エレンディルミアの名は『指輪物語』追補編AⅠ(ハ)[の原/二六頁]註[(二六頁)/]にみられる。
『追』『シ』註三 『シルマリルの物語』「力の指輪と第三紀のこと」四八二[から/]四八三頁参照。『指輪物語』追補編AⅠ(ロ)[の註釈一七頁/一七頁註一]にはかれはイムラドリスで生まれた、とある。
下14『旅』註四 「[ビヨルン/ベオルン]一党の存在がなければ、谷間の町からだにまでの通行もとっくの昔に不可能なものになっておったでしょう。あの人たちは勇敢で、おかげでわれらも[本道/霧ふり越えの山道]とカーロック(岩山)の渡しを自由に往来できるのです。」(『旅の仲間』下第一章二七―二八頁)。
下15『シ』註五 『シルマリルの物語』「力の指輪と第三紀のこと」四八二頁参照。「[イシルドゥアはゴンドールを去り、]エレンディルが来た道を通って北に向かった。」
下18『追』註一四 『指輪物語』追補編FⅡ[/一八八頁]には闇の森のエルフ名はタウ[/]=エ=ンダ[/]デロス「大いなる恐怖の森」とある。
『追』註一四 指輪戦争が終わった後スランドゥイルとケレボルンは闇の森をエリ[/]ン・ラスガレン、すなわち緑葉の森と命名しなおした(『指輪物語』追補編B一二二頁)。
下19『シ』註一四 訳註『シルマリルの物語』[(第二十一章)/第二十一章三五三頁]のベレグがグウィンドールをタウア=ヌ=フインの森で見つける場面を描いた初期の絵を描きなおしたものであるとJ・R・R・トールキンが、
『シ』註一五 これに関する別の伝承が[/『シルマリルの物語』]「力の指輪と第三紀のこと」[(『シルマリルの物語』四八二頁)/四八二頁]の短い記述にある。「しかし、イシルドゥアは、霧ふり山脈で待ち伏せていたオークの軍勢に襲われた。ロイグ・ニングロロン即ち[/]あやめ野[/]に近い緑森と大河に挟まれたところで野営している時に、不意討ちを仕掛けられたのである。敵という敵はことごとく平定されたと思い込み、不注意にも見張り番を立てなかったのである。」
『旅』『シ』註一八 [/『シルマリルの物語』]「力の指輪と第三紀のこと」[(『シルマリルの物語』四八三頁)/四八三頁]と『旅の仲間』下第二章[(五七頁)/五七頁]に「わずかに三人・・・ようやく霧ふり山脈を越えて戻ってきた。」とある。
下21『旅』註二三 「予が初めてそれを手に取りし時、指輪は火のごとく熱く、予が手を焼きたり。ために予はその痛みのふたたびいやさるる日あるやを疑いしほどなりき。されど、今予がペンを取るうちにも、それは熱を失い、収縮せるが・・・」(『旅の仲間』下第二章七五頁)。
下23『旅』『シ』註二四 この自尊心ゆえに、指輪はオロドルインの炎で破壊すべきであるとのエルロンドとキーアダンの忠告をしりぞけ指輪を自分のものとしたのだ(『旅の仲間』下第二章五六頁、『シルマリルの物語』「力の指輪と第三紀のこと」[四八〇頁/四八一―四八二頁])。
下25『旅』註三〇 ミルヴォールの水筒、「イムラドリスの強壮飲料コーディアル」は一行が裂け谷を出発する時ガンダルフにエルロンドが与えた(『旅の仲間』下第三章一四四頁)。
下27『追』『指輪物語』追補編B「代々の物語」[/一二六頁]の第四紀一六年(ホビット庄暦一四三六年として示されている)の項に、エレッサール王がブランディワイン橋に行幸して友人方と挨拶し、サムワイズ殿にドゥーネダインの星を与えられ、娘のエラノールはアルウェン王妃付きの侍女となった、とある。
『旅』註三一 しかしガンダルフはミスリルが「世界でここ(モリア)だけにしか見いだせない」と、いっている(『旅の仲間』下第四章一九二頁)。
『王』註三三 訳註 ここの一節にあるドゥーネダインの星とはおそらく野伏たちがつけていた放射状の光を放つ星形をかたどった銀のブローチ(『王の帰還』上六九頁)のことであろうとの指摘があった。さらにマーサー夫人からは、[/『指輪物語』]追補編A[/]Ⅰ(ニ)「執政家」四七頁[/]で『この大将のことをゴンドールでは人呼んでソロンギルすなわち星のわしといった。なぜならかれは敏速で眼力が鋭く、マントに銀の星を一つつけていたからである。』と記述されていると言及があった。
下29『追』『指輪物語』[/]追補編AⅡ「マーク歴代の王たち」七五-七六頁[/]にあるモルウェンについての記述とは別のことがわかる。
下37『追』註五 『指輪物語』追補編A[/]Ⅰ「(ニ)ゴンドール、またアナリオンの後継者たち」三〇頁[/]によると、ヴィドゥガヴィアは自らロヴァニオンの王を称し、北国人ノースメンの諸侯の中では最も勢力があった。ゴンドール王ローメンダキル二世(一三六六年没)を、東夷とういとの戦いにおいて補佐し、その引き立てを得た。ローメンダキル二世の息子ヴァラカールはヴィドゥガヴィアの娘ヴィドゥマヴィと結婚したが、この結婚が一五世紀ゴンドールに、破壊的な同族間の争いを引き起こした。
『追』『指輪物語』追補編F[/]Ⅱ「翻訳について」一九二頁[/]に「ローハン語は古英語に似せるようにした。」
下39『追』註八 『指輪物語』追補編A[(三五頁)/三五頁]には「アンドゥインの先」
『追』註一二 『指輪物語』追補編A[(Ⅰ「(ニ)/Ⅰ(ニ)「]ゴンドール、またアナリオンの後継者たち」三五頁[/]の概略的記述「ナルマキル二世の息子カリメフタールは、ロヴァニオンにおける反乱に助けられて、一八九九年ダゴルラドで東たちに圧勝し、父のあだを討った。
下43『王』註一六 『王の帰還』上第一〇章二七六頁のそのくだりを引用する。「そこでアラゴルンは全軍を有効最善の隊列に配置し、オークたちが多年の労役の間に積み上げた爆破された石や土の大きな山の二つに引き上げさせました。」そしてアラゴルンはガンダルフとともに一つの小山の上に立ち、もう一つの小山にはローハンとドル・アムロスの旗印が立てられた(同[/]二八四頁)。
下44『追』『指輪物語』の追補編A[(三六頁)/三六頁]にある簡単な説明に、エアルニルが北上してきて、馬車族を完全に打ち負かしたと記されている。
下45『追』[「代々の物語」の中/『指輪物語』追補編B「代々の物語」一〇七頁]で、エアルニルの勝利は野営地の合戦と呼ばれている。
下47『追』註一九 『指輪物語』追補編A [/]Ⅱ「エオル王家」六五[頁)/-六六頁]に述べられている。「[エオルの父祖たちは]何よりも平原を愛し、馬と馬乗りとしてのあらゆるわざに喜びを見いだしていた。しかしアンドゥインの中間の谷間地方には当時多くの人間が住んでいた。加うるにドル・グルドゥアの影は次第に長く伸びてきていたのである。それゆえかれらは[一九七五年の]魔王の敗北を耳にすると、北方に発展の余地を求め、霧ふり山脈の東側に残っているアングマール国民の残党を追い払った。しかしエオルの父レオドの時代にはかれらはおびただしい数となり、本国の土地だけではまたもやいくぶん手ぜまとなってきた。」移住時の族長はフルムガールであった。[/追補編B「]代々の物語/」一〇七頁]によると一九七七年のことである。[(『指輪物語』追補編B「代々の物語」一〇七頁)。/]
『シ』註二四 『シルマリルの物語』「クウェンヤ語及びシンダール語の固有名詞を構成する主要部分」[/五一七頁]のhothの項[(五一七頁)/]を参照のこと。
下51『追』ここで原稿は終わり、ケレブラントの野の戦いに関して記した覚書きが続いている。『指輪物語』の追補編AⅡ[(四五頁)/四五頁]に、その戦いの概要が記されている。
『追』註二八 『指輪物語』追補編A[/]Ⅱ「エオル王家」六七[頁)/-六八頁]によると、エオルの父レオドは野生馬を調教する人だったが、勇敢にもフェラローフを乗りこなそうとして振り落とされ、死んでしまった。そののちエオルがこの馬に、かれの父の命のあがないとして生涯の身の自由を委ねることを求め、フェラローフはこれに従った。だが、フェラローフはエオル以外の者はだれひとりその背に乗せようとはしなかった。この馬は人間の言うことをすべて理解し、また寿命も人間と同じくらいだった。フェラローフの子孫たるメアラスたちも「飛蔭とびかげの代にいたるまでマークの王以外の者はだれも乗せようとはしなかった。」(六八頁)フェラローフFelarófという言葉はアングロサクソンの詩語にもあるのだが、実はこの単語を使った詩は記録されていない。意味は「とても勇敢な、とても強い」。
下52『追』同様の、もっと短い記述が、[/『指輪物語』]追補編A[/]Ⅰ(ニ)[/四五頁]にある。そこからも、戦いの推移は完全には明らかにできないかもしれないが、騎兵が浅地を渡って白光川を越え([/]五一頁の註二九を見よ)、敵軍の後衛部隊にケレブラントの野で襲いかかったことは間違いないようだ。そして、「敵は[したたかに撃破さ/散々にやっつけら]れて白光川の向こうに追いやられた」[/(追補編AⅡ六六頁)]というのは、
下53『王』註三一 一つは『王の帰還』上第一章「ミナス・ティリス」一四頁、ピピンがガンダルフとともに飛蔭とびかげに乗りミナス・ティリスへ向かう途中、火を見つけて声をあげる場面である。ガンダルフがこたえて「ゴンドールの烽火のろしがともされた。救援を求めておるぞ。戦いの火口ほくちがついたのじゃ。見よ。アモン・ディーンに火が、エイレナハにほのおが見える。どんどん西へ伝わっていくわ。ナルドル、エレラス、ミン=リンモン、カレンハド、それからローハンの国境くにざかいハリフィリエンの山々に。」もう一つは同じく『王の帰還』[/]第三章「ローハンの召集」一一九―一二〇頁、ローハンの騎兵隊がミナス・ティリスへ向かう途中、[沼地/フェンマーチ]を渡る場面で「[沼地/そこ]から右手に大きな樫の森がゴンドールの国境くにざかいに近い暗いハリフィリエンの陰の下なる丘陵のすそをはい登っていました。」『王の帰還』上巻末のゴンドール、ローハン近辺の拡大地図を参照のこと。
下57『二』註三六 [『二つの塔』上[/]第二章「ローハンの騎士たち」四二頁[/と五七頁]でオークを追討していたエオメルのエオレドは百二十人である。レゴラスが遠くから数えたのが百五人、オークとの戦いで失われたのが十五人とエオメルが言ったので]。
『王』註三六 しかしセオデンは目前の大危機に際して一万の騎兵を送りだすこともできた、と主張していたが(『王の帰還』上第三章「ローハンの召集」一一〇頁)、
下59『王』註三八 「またマ[/]ロスとアルフィリンも、黄金こがねなす鈴をうち振る、/レベンニンの緑なす野に、」(『王の帰還』上第九章「最終戦略会議」二五三頁)。
下63『追』『シ』註四四 『指輪物語』追補編A[/]Ⅰ(ロ)[一六頁)/二一頁]では統治権を持つ最初の執政は「『揺るぎなき[/[the Steadfast]]』マルディル・ヴォロンウェ」と呼ばれている。また第一紀でトゥオルをヴィンヤマールから案内したゴンドリンのエルフはヴォロンウェという名だが、『シルマリルの物語』索引([五七七頁/六五八頁])のかれの項を見ると[/同じように]「不動の者[/揺るぎなき/[the Steadfast]]」と訳されている。
『追』註四六 「オノドリムOnodrim すなわち[エニド/エニュド]Enyd 」(『指輪物語』追補編F「そのほかの種族のこと」一八一頁)
下69『追』註五二 『指輪物語』追補編A[/]Ⅰ(ニ)「ゴンドール、またアナリオンの後継者たち」二八頁[/]によると、メネルディルの四代後の王オストヘアの時代に、ゴンドールは初めて東方からの野蛮人の襲撃を受けた。「しかしかれの息子タロスタールはかれらを打ち破り、これを追い払って、ローメンダキルすなわち「[東の/征東]勝者」の名を得た。」
『追』註五四 「ゴンドールでは不実な敵が王をわなにかけ、王はミナス・モルグルで責めさいなまれて死んだと信じられた。しかしかれの死を目撃した者がいないところから、善良なる執政マルディルは王の名において何十年もゴンドールを統治した。」(『指輪物語』追補編AⅠ(ニ)「ゴンドール、またアナリオンの後継者たち」四一頁)
下75『追』註一 トーリンとガンダルフの出会いは『指輪物語』[/]追補編AⅢにも触れられていて、日付は二九四一年三月一五日と書かれている(九七頁註[/]一二)。二つの記述には若干の相違が見られ、追補編A[/九一頁]の出会いの場はブリー村の宿で街道ではない[(九一頁)/]。
『王』訳註二 戴冠式ののち、アラゴルンが指輪の仲間の解散を惜しんだため、かれらはしばらく、ミナス・ティリスで一緒に暮らした。(『王の帰還』下第五章一四六―一四七頁)
下77『旅』『追』註二 庭師のホルマン、緑手のホルマン。ハムファスト・ギャムジー(サムの父、「とっつぁん」)はかれの助手をしていた(『旅の仲間』上第一章三三頁および追補編C「サムワイズ殿の家系」一三四頁)。
『追』註三 「おおよそホビット庄の四月六日に当たる」(『指輪物語』追補編D「ホビット庄暦」[註七、一四七頁/一四七頁註七])
『追』訳註三 ガンダルフの勧告により白の会議が行なったドル・グルドゥアへの攻撃のこと。『指輪物語』追補編B「代々の物語」[/一一二頁]第三紀二九四一年の記述[(一一二頁)/]を参照。
下79『追』註四 スライン一世は一九八一年にモリアから逃れ、最初の山の下の王となった(『指輪物語』の追補編AⅢ「ドゥリンの一族」八〇頁)
『追』訳註四 『指輪物語』追補編B「代々の物語」[/一一〇頁]第三紀二八五〇年[(一一〇頁)/]参照。
下81『旅』『追』註五 二七九九年、モリア東門の前におけるアザヌルビザール(ナンドゥヒリオン)の合戦で図体の大きなオーク、アゾグを討ち取り、トーリンの祖父、スロールの仇を討った。かれは三〇一九年谷間の国の戦いで討ち死にした(『指輪物語』追補編AⅢ「ドゥリンの一族」八六頁および追補編B「代々の物語」一二〇頁)。フロドはグローインから裂け谷で「今はもう老齢の(二百五十歳を過ぎた)ダーインが、徳高く、莫大な富をかかえ、今なお山の下の王として君臨くんりんしている」と聞いた(『旅の仲間』下第一章二八頁)。
『追』訳註五 『指輪物語』追補編AⅢ「ドゥリンの一族」九三―九四頁参照。
下85『旅』訳註八 『旅の仲間』上第二章九七頁参照。
「ビルボはその指輪を見つけるように[定められていた/定められていた]、ただし、その造り主によってではないと*八
『追』訳註九 「かれらはサウロンの力に力をもって対抗することも、あるいは強圧と恐怖によってエルフや人間を支配しようと試みることも禁じられていた(『指輪物語』追補編B「代々の物語」一〇三頁)
『追』訳註一〇 grey shores 灰色港のことを指すと思われる。『指輪物語』追補編B「代々の物語」一〇四頁に「わたしはこの灰色の海辺に住まうのです。」とある。
下87『追』註七 『指輪物語』追補編AⅡ「エオル王家」七〇頁には二七五八―九年に「長い冬」がローハンを襲ったという記述がある。また[/追補編B]「代々の物語」一〇九[/-一一〇]頁には「ガンダルフ、ホビット庄民を援助すべく来庄」と記されている。
『追』訳註一一 『指輪物語』追補編B「代々の物語」[/一一二頁]第三紀二九五一年[一一二頁/]。
『旅』『追』訳註一二 「せいぜいエルフの弓の華奢きやしやな矢にたよっていて、このロスローリエンの地がわれらの敵から守られていると考えてはなりませぬ。」とネンヤの力で守られていることが示唆されている(『旅の仲間』下第七章二七八頁)。三〇一九年三月一一日、一五日、二二日に三回攻撃されている(『指輪物語』追補編B「代々の物語」一二〇[から/]一二一頁)。
下88『追』ふたりのおじとは「旅に出て帰ら」なかったヒルディフォンズ・トゥックと「若いころ船乗りになったと伝えられる」アイゼンガー・トゥック(トゥック翁の十二人の子供の末っ子)である(『指輪物語』追補編C「大スミアルのトゥック家」一三二頁)。
下101『旅』[訳註]『旅の仲間』上第四章「茸畑への近道」一六八頁の「そいつは大きな黒い馬に乗って門の中にはいって来やがった。」
『追』訳註一 『指輪物語』追補編B「代々の物語」[/一一五頁]によると六月二〇日である。
下107『旅』註五 ガンダルフはエルロンドの会議において、ミナス・ティリスを辞した後「ローリエンから、アラゴルンがその地を通り、ゴクリと呼ぶ生きものを見いだした旨を知らせてよこした。」(『旅の仲間』下第二章七六頁)と、語っている。
下109『旅』それにはホビットたちがバックル村の渡し場を渡った直後に対岸に見た黒の乗手(実はドル・グルドゥアのハムール。註一参照)について(『旅の仲間』上第五章一七八頁)、
『旅』註八 この文が、エルロンドの会議でボロミアが述べたオスギリアスの戦いのくだりに関係するのは間違いない。「敵側には以前に感じ取ることのなかったある力がございました。その力は、巨大な黒い乗手か、月下の暗い影のごとく、目で見ることができると申す者もありました。」(『旅の仲間』下六〇頁)
下113『追』註一五 [「代々の物語」/『指輪物語』追補編B「代々の物語」一一五頁]の三〇一八年九月十八日の項には「ガンダルフ、この朝早くオルサンクを脱出する。黒の乗手、アイゼンの浅瀬を渡る。」とある。
『王』註一七 袴帯家のロベリアがサックヴィル=バギンズのオソと結婚した。その息子がロソであり、指輪戦争の折にはホビット庄を牛耳って「お頭」と呼ばれた。お百姓のコトンはフロドとの会話の中で南四が一の庄にロソが[タバコ/たばこ]栽培場を持っているといっている(『王の帰還』下第八章二二五頁)。
下115『追』註一九 『指輪物語』追補編A[/]Ⅰ(ハ)「北方王国とドゥーネダイン」二一頁[/]を参照。「カルドランのドゥーネダインが滅び、アングマールとルダウアの悪霊が見捨てられた塚山にはいって住みつくようになったのはこの頃[一六三六年悪疫がゴンドールを席巻した頃]である。」
『旅』註二一 『旅の仲間』上第九章二九五頁参照。馳夫とホビットたちがブリー村を出発した時、(同書第一一章三三五頁)、ブリー村の村はずれにあるしだ家のビルの家に褐色人(「こすからい、いやな目つきの血色の悪い顔」)がいるのをちらっと目にしたフロドは、「あいつは人間というより半分以上ゴブリンみたいだな。」と、思った。
『旅』註二二 エルロンドの会議でのガンダルフの言葉を参照(『旅の仲間』下九五[/-九六頁]頁)。「九人組の首領はブリー村の南にかくれひそんでいた。」
下123『追』註一 エオメルは、セオデンの妹セオドウィンとマークの軍団長たる東の谷のエオムンドの息子である。エオムンドは三〇〇二年にオークに斃され、セオドウィンはそれから間もなく死去した。かれらの子供のエオメルとエオウィンはセオデンの王宮に引きとられ、王のひとり息子セオドレドと一緒にそこで暮らした。(『指輪物語』追補編AⅡ七六、七七頁)
下125『王』註二 赤い矢については『王の帰還』上第三章一〇八頁を参照せよ。そこでは、セオデンのもとに、ゴンドールの急使がミナス・ティリスの危急存亡のしるしとして持参した。
『追』註三 ガンダルフがエドラスに着いたのは七日後の三月二日である。(『指輪物語』追補編B一一九頁三〇一九年)
『追』註四 二七五四年、マークの王、槌手ついしゆ王ヘルムは尊大な配下のフレカをなぐり殺した。フレカはアドルン両岸の支配者であった。『指輪物語』追補編AⅡ六九頁参照。
下129『二』註七 この知らせは二月二七日の正午になってようやくエドラスにもたらされた。ガンダルフは三月二日の早朝にそこに着いた(二月は三〇日あることに注意!)。従って、グリーマが言ったように、セオドレドの死の知らせが王のもとに伝えられてから丸五日とたっていなかったのである。[著者註]――『二つの塔』上第六章一九六頁参照。
下133『二』註一〇 (『二つの塔』上第九章「漂着物」二九二[/]二九三頁)「ぼくは敵軍が出て行くのを見た。徒歩かちで進軍するオークたちの列がいくつもいくつも切れ目なしに続くかと思うと、大きな狼にまたがるオーク部隊もあった。それから人間たちの大部隊もあった。かれらの多くは炬火たいまつを持っていたので、ぼくはゆらぐ炎に照らされたかれらの顔を見ることができた。……かれらがみんな門から出て行くのに一時間はかかったもの。公道を通って浅瀬の方に降りて行く部隊もあれば、あるいは公道からそれて東[/]向かう部隊もあった。そちらの方は約一マイルほど先に、橋が作られているんだ。そこは川が非常に深い水路を流れてるんでね。」
『王』訳註一 『王の帰還』上第六章「ペレンノール野の合戦」[/]一九九頁[/]には、エオメルが角笛で生き残りの全員を呼び集め「ここを最後と大きなたてぶすまを築き、動かずに立ったまま、最後のひとりまで闘って、歌に残るいさおしをペレンノール野にたてよう、」
『二』訳註一 なお『二つの塔』上第七章「ヘルム峡谷」[/]二二三頁[/]では、「われらの盾の壁は破れた」と訳されている。
下135『王』註一三 ドゥーンヘレは馬鍬谷の領主であった(『王の帰還』上第三章「ローハンの召集」九七頁)。
『二』註一五 この知らせはケオルという名の騎兵によってもたらされた。かれは浅瀬から戻る途中で、エドラスからの援軍を率いて西へ馬を進めるガンダルフ、セオデン、そしてエオメルに出会ったのである。『二つの塔』上第七章「ヘルム峡谷」(二二三頁)。
『二』註一六 物語が暗示しているように、ガンダルフはすでに木の鬚と連絡を取っており、エントたちの堪忍袋の緒が切れたことを知っていた。そしてかれはレゴラスの言葉の意味を読んでいた(『二つの塔』上第七章二二二頁)。アイゼンガルドは見通しのきかぬ影で覆われ、エントたちはすでにそこを包囲していた。
下137『二』註一七 角笛城の合戦の後、ガンダルフはセオデンとエオメルとともにアイゼンの浅瀬に来て、ふたりにこう説明した。「一部は西の谷のグリンボルドとともに送り出して、エルケンブランドの部隊と合流せしめ、一部は、この埋葬まいそうの仕事をなさしめたのじゃ。かれらも今は殿の軍団長エルフヘルムに従っておる。わしは多くの騎兵をつけてかれをエドラスに送った。」(『二つの塔』上第八章「アイゼンガルドへの道」二六六頁)
『二』註二〇 すなわち、エミン・ムイルからローハンにやってきたメリアドクとペレグリンをつかまえたオークたちを、エオメルが追っていた時のことである。エオメルがアラゴルンに向かって言った言葉がある。「わがエオレド、即ちわたし自身の手の者を率いて出動したのです。」(『二つの塔』上第二章五六頁)
下138『王』エルフヘルムはゴンドールにいるロヒアリム全軍の指揮を任されれ、アノーリエンに侵入してきた敵軍を敗走させた(『王の帰還』上第九章の終わり二六六頁と第一〇章の初め二六八頁)。かれはアラゴルンの戴冠式を見た主たる者のひとりとして名を挙げられている(『王の帰還』下第五章「執政と王」一三九頁)。
下139『王』註二二 セオデンは食事をとる前、ただちに「軍団長と将官各位」の評議を召集したが、メリアドクは出席しなかったのでそれは記述されていない(「みんなは何を相談してるんだろう」)。[著者註]――『王の帰還』上第三章一〇四頁参照。
『王』註二三 グリンボルドは『指輪物語』の物語中では、ミナス・ティリスを前にしたロヒアリムの最後の陣立てまで言及されていない。(『王の帰還』上第五章一七八、一七九頁)
『二』註二三 [訳註]グリンボルドの名前は『二つの塔』上第八章で、ガンダルフによって言及されている。本章下一三七頁の註一七参照。
下141『追』註二六 『指輪物語』追補編F[/]人間のことば[/]一七八[から/]一七九頁を参照のこと。「[褐色人/褐色人ダンレンデイング]は遠い昔、白の山脈の谷間地方に住まっていた民族の生き残りである。[馬鍬砦/社岡やしろおか]の死者たちは、かれらに近い者たちであった。しかし暗黒時代に、ほかの者たちは霧ふり山脈の南の谷々に移り住み、中にはそこからさらにまた、無人の地を求めて、北は塚山丘陵まで移って行った者もあった。ブリー村の人間も、もとはそこからきたのである。しかしかれらはずっと昔に、アルノールの北方王国の民となり、西方語を話すようになっていた。ただ[褐色人の国/褐色国ダンランド]に住んでいた者たちだけが、同じ種族ではあったが、自分たちの古いことば、古い習慣を棄てず、ドゥーネダインに好意を持たず、ロヒアリムを憎み、隠れひそんで暮らしていた。」
下144『追』註二九 ゴンドールとローハンへのこの侵略の話は、『指輪物語』追補編A[/]Ⅰ(ニ)四五頁とⅡ七〇[から/]七一頁[/]で語られている。
下151『シ』註二 『シルマリルの物語』の中でベオルはフェラグンドにハラディン(後にハレスの族と呼ばれた)を「われらの言葉がかれらの言葉からわかれて[/しまっ]た」と説明している(二五〇頁)。また「しかし、かれらはそれからも自分たちだけで固まって住み」(二五八頁)とあり、かれらはベオルの一族よりも背が低く、「用いる言葉の数も少なく、人間があまり多く集まることを好まなかった。かれらの中には孤独を愛し、エルダールの国土のすばらしさが目に新鮮に映ずる間は、自由に緑の森林地帯を歩きまわる者も多かった。」(二六一頁)と語られている。
『シ』註五 『シルマリルの物語』[/一〇一頁]には、オークはその始め、捕えられたエルフからメルコールが作ったと語られている。
『王』註五 『王の帰還』上第五章におけるガーン=ブリ=ガーンの笑いの描写にも注意すべきだろう。「ガーン老人はのどを鳴らすようなおかしな音をたてました。どうやらこれはかれの笑い声のようでした。」(一七五頁)かれは「こぶのような無骨ぶこつな顎に乾いたこけのように散らばっていました」(一七〇頁)という乏しい顎鬚あごひげと、表情のない黒い目の持ち主だったことが描写されている。
下153『シ』註八 [著者註]フーリンとハレスの族の関係については『シルマリルの物語』二七五頁を参照のこと。父は最終的には、ドル=ローミンのフーリンの家の老召使サドルをドルーグとすることを考えていた。
『王』註九 エルフヘルムはメリアドク・ブランディバックに、野人は毒矢を使うと述べている(『王の帰還』上第五章[/一六九頁])。
下158『王』ガーン=ブリ=ガーン(『王の帰還』上第五章)の遠い先祖つまり馬鍬砦の像の作り手([『王の帰還』上/同書]第三章[/九九-一〇〇頁])(一二)
下159『シ』『シルマリルの物語』[/]二四七―二五一頁[/]のエダインの到来のいにしえの言い伝えをもっと詳しく述べることもできる。
『王』註一二 「道の曲がり目ごとに人型に彫った大きな立ち石がありました。太鼓腹の[うえ/]にずんぐりした腕を組み、あぐらをかいてすわっている、不格好な手足をした巨大な石像でした。多年の風化で、今なお悲しげに通行者を見つめている暗い穴だけの目を残し、顔の[造作/造作ぞうさく]をすっかり失ってしまったものもありました。」
下161『王』『指輪物語』の中に一箇所だけ「ウォーゼ」という語が使われている。エルフヘルムがメリアドク・ブランディバックと話すところである。「あんたの聞いたのはウォーゼたちだ。この森に住む[野人/野人やじん]たちだ」[/(『王の帰還』上一六九頁)]。
下167『旅』『二』註一 『二つの塔』上第八章二七一頁でサルマンは「多くの者から魔法使いの長と見なされ」ていたとあリ、エルロンドの会議(『旅の仲間』下第二章八三頁)では「白の賢者サルマンはわが結社の主導者じゃった」と、ガンダルフが明言している。
『追』『シ』註二 キーアダンがガンダルフに灰色港で火の指輪を渡した時の言葉は「力の指輪と第三紀のこと」(『シルマリルの物語』四九六頁)に類文が見られ、『指輪物語』追補編B「代々の物語」[/一〇四頁]第三紀の頭記[一〇四頁)/]にもよく似た言葉がある。
下169『旅』註四 「ラダガストの昔からのすみか」と『旅の仲間』下第三章一一五頁で言及されているロスゴベルは「カーロックと古森街道の間の森の端に」あったとされている。
下169-170『追』
『指輪物語』ではイスタリに関する唯一の概説が、追補編B「代々の物語」第三紀の頭記[/]一〇三頁[/]に見られる。
 一千年くらい経った頃であろうか、最初の影が緑森大森林をかげらせた頃、イスタリすなわち魔法使いたちが中つ国に現れた。後世になって伝えられるところでは、かれらは遙かなる西方から来た使者であり、サウロンの力に抗し、かれに抵抗する意志を持つ者たちすべてを結び合わせるために遣わされたということである。しかしかれらはサウロンの力に力をもって対抗することも、あるいは強圧や恐怖によってエルフや人間を支配しようと試みることも禁じられていた。
 それゆえかれらは人間の姿に身をやつしてやって来た。と言ってもかれらは初めから全然若くはなく、年をとるのも緩慢であった。そして知的にも技能的にもさまざまな能力を持っていた。かれらはその本当の名前をごくわずかな者にしか明かさず、自分たちにつけられた名前を用いていた。この結社(全部で五人いたと言われている)の中で上に立つふたりは、エルダールからはクルニーアすなわち「[熟練/わざ持つ]者」、およびミスランディアすなわち「灰色の放浪者」と呼ばれていたが、北方の人間からはサルマンならびにガンダルフと呼ばれていた。クルニーアはしばしば東に旅をしたが、最後にはアイゼンガルドに住みついた。ミスランディアはエルダールとだれよりも親しくしており、主として西方を旅していたが、最後まで永続的な自分の住居というものを持たなかった。
下171『シ』
[/『シルマリルの物語』]「力の指輪と第三紀のこと」[(『シルマリルの物語』四八九頁)/四八九頁]のイスタリについてのくだりは、先に引いた『指輪物語』追補編Bと言い回しに至るまで酷似しているが、それは「イスタリについての小論」と一致する次の一文を含んでいる。
 クルニーアが最年長で最初に現われ、かれのあとにミスランディアとラダガスト、そして中つ国の東方に渡り、ここに語られたような物語には名前の出てこないほかのイスタリたちが続いた。
『シ』註五 [/『シルマリルの物語』]「ヴァラクウェンタ」[(『シルマリルの物語』七二頁)/七二頁]のオローリンに関する記述からも、イスタリがマイアールであることは明らかである。オローリンとはガンダルフのことだからである。
下172『シ』サウロンについてヴァラクウェンタに「初めかれは、アウレのマイアールのひとりであった。アウレの民の伝承の中では、かれはずっと力ある者とされていた。」(『シルマリルの物語』七三―七四頁)
下173『旅』「『茶色のラダガストか!』と、サルマンは笑った。かれはもはやその冷笑を隠そうとはしなかった。『鳥使いラダガスト! お人よしラダガスト! 愚者ラダガストか! だが、わしがやらせた役割を果たすだけの知恵はあるようだ。』」(『旅の仲間』下第二章八六頁)
『シ』註六 ネヴラストにある「鳥たちの湖」リナイウェンを参照(『シルマリルの物語』「クウェンヤ語及びシンダール語の固有名詞を構成する主要部分」五一六頁 lin(1)の項)。
下174『二』ガンダルフとサルマンとの論争の中で「五人の魔法使い」という言葉が出てくるくらいで[『二つの塔』上第一〇章三二三頁]、
下175『旅』註七 モリアの中でアラゴルンはガンダルフのことを「かれは、ベルーシエル王妃の猫よりも確実に、真っ暗な夜、家に戻る道を見いだせるのだから。」と、言っている。(『旅の仲間』下第四章一八一頁)
『追』註七 王妃は邪悪かつ孤独で、タランノン王の愛なき后であった。タランノンはゴンドール第一二代の王(第三紀八[/]〇―九一三)、最初の「船艦王」で、ファラストゥア「沿岸の支配者」の名を持ち、世継のない最初の王だった(『指輪物語』追補編AⅠ(ロ)一五頁、(ニ)二七頁)。
下178『シ』これらのオロスオロルに関する論考は「ヴァラクウェンタ」のくだり(『シルマリルの物語』七二頁)と明らかに関連がある。
下178-179『二』
 『二つの塔』下第五章一三五頁のくだりを説明した長い覚書きがある。このくだりとは、ガンダルフが、
 わしの名はさまざまな国でさまざまに呼ばれる。エルフのあいだではミスランディア、ドワーフにはサルクーン、今は忘れられた西方での青年時代にはわしはオローリンだった(九)。南方ではインカーヌス、北方ではガンダルフ、東方には行かぬ。
下180『旅』アラゴルンは「星々の光さえこことは異なるリューンやハラドの遠い国々にまで」(『旅の仲間』下第二章六六頁)(一〇)足をのばした、と言っている。
下187『追』註一 (『指輪物語』追補編AⅠ(ニ)三六頁)。北方王国の窮地についての「知らせ」が一九七三年にゴンドールにもたらされているが、指輪戦争がきざす以前では、これがおそらく最後に使われたものである。
[訳註]知らせについては、「ゴンドールの王冠を戴いた旨、アルヴェドゥイに知らせた。」(『指輪物語』追補編AⅠ(ニ)三八頁)と、「しかし一九七三年の秋ついにゴンドールに、アルセダインが、・・・準備中であるという知らせが届いた。」(同右)とある。)
下189『追』『シ』註二 アルヴェドゥイとともにアンヌーミナスの石とアモン・スール(風見が丘)の石も失われた(『指輪物語』追補編B「代々の物語」[/一〇七頁]第三紀一九七五年[一〇七頁/])。北方の第三のパランティーアはエミン・ベライド山のエロスティリオンの塔にあり、特別な性質を持っていた(註一六を参照。『シルマリルの物語』「力の指輪と第三紀のこと」四七七頁)。
『追』註三 オスギリアスの石は一四三七年に「同族間の争いの内戦」でアンドゥインの水中に失われた(『指輪物語』追補編A「王たち、統治者たちの年代記」三一頁)。
『追』註四 『指輪物語』追補編B「代々の物語」二〇〇二年の項と追補編AⅠ(ニ)とで、ミナス・イシルの陥落に際してパランティーアが奪われたことが事実として記されている。
『旅』註六 エルロンドの会議でガンダルフが、サルマンがミナス・ティリスで巻物や本を長い間研究していた点に言及していることを参照されたい(『旅の仲間』下第二章「エルロンドの会議」七四頁)。
下191『二』ドル・バランからの道すがら飛蔭の背でガンダルフがペレグリンに語ったとき(『二つの塔』上第十一章)、
下192『王』「デネソール侯もその英明さを失っておられない頃[/であれば]、これを使って[みよう/、サウロンに挑もう]とはされなかった[/であろう]。」(『王の帰還』上第七章「デネソールの火葬」二一七頁)
下193『王』註八 デネソールがガンダルフの憶測、嫌疑に気づいていたのは明らかであり、このために怒り冷笑を浴びせている。ミナス・ティリスでのガンダルフとの会合で交わされた言葉に注意すること(『王の帰還』上第一章三〇頁)。「だが、今申された事実については、予は東方の[脅威/脅威きようい]に対して予自身のはかりごとを練るに十分なだけはもうすでに承知しておる。」特に、これに続く愚弄の言葉に注目せよ。「さよう、七つの石は失われたと伝えられるが、いまなお、ゴンドールの支配者たちは並みの人間よりは鋭い視力を持っており、いろいろ便りを受けるのよ。」
『二』註九 『二つの塔』下第五章[/一三五頁]のくだり[(一三五頁)/]を参照されたい。それによると、ガンダルフは古文書に興味があったのでミナス・ティリスに来た、とある。
『二』註一〇 (『二つの塔』上第一一章「パランティーアの石」三五三頁)「アルノールとゴンドールの失われた〈石〉が今はどこにあるのか、埋まってしまったか、水底深く沈んだか、だれが知ろう?」
『王』註一一 これは『王の帰還』上第七章二一七頁のデネソールが死んだ後のガンダルフの言葉への言及である。(この論考から生じた)「デネソール侯も・・・これを使ってみようとはされなかった。」を「デネソール侯も・・・これを使ってみようとはされなかっただろう。」とした父の改訂は、再版では(おそらく単なる不注意から)落とされた。
『追』訳註一 「妻の死後、デネソールは今までにも増して気むずかしく[grim]寡黙かもくになった。」(『指輪物語』追補編AⅠ(ニ)「執政家」四九頁)傍点訳者。
下195『追』註一二 ソロンギル(「星の鷲」)は、アラゴルンが身をやつしてゴンドールのエクセリオン二世に仕えた時、かれに与えられた名である。『指輪物語』追補編AⅠ(ニ)「執政家」四七頁参照。
下197『追』註一五 「ペレンドゥアの時代以降、執政職は王権と同じく、父から息子あるいは最も近い近親者に伝えられる世襲の職となった。」(『指輪物語』追補編AⅠ(ニ)「執政家」四三頁)
『追』註一六 『指輪物語』追補編AⅠ(ハ)二六頁には、エミン・ベライドのパランティーアは「他の石と呼応することはなく、海の方だけを向いていたそうである。エレンディルは「真直な視界」によって振り返り、姿を消した西方のエレッセアを見ることができるように、これをその塔に置いたのである。しかしその下の湾曲した海は永遠にヌーメノールをおおってしまった。」
『シ』註一六 エレンディルがエミン・ベライドのパランティーアでエレッセアを見たのは「力の指輪と第三紀のこと」(『シルマリルの物語』四七七頁)にも語られている。「こうしてかれは、時には遥か遠く、親石の置かれたエレッセアのアヴァルローネの塔を見ることさえあったと考えられている。その親石は今もまだそこにあると信じられている。」
『旅』註一六 訳註 『旅の仲間』上第三章[一四六/一四一-一四二]頁の詠歌はこうした放浪から戻ってきたエルフにふさわしい。
『シ』註一六 訳註 『シルマリルの物語』一二四頁にパランティーアはフェアノールが作ったとある。
下200『二』註二〇 『二つの塔』上第七章[二三一から二三二/二二四]頁参照。
下206『旅』[『指輪物語』の/]『旅の仲間』下第二章「エルロンドの会議」[/五七頁]でエルロンドは語っている。「……しかし間もなくかれはその指輪によって裏切られ、そのために死ぬところとなった。……イシルドゥアの滅びの地あやめ野から生きて戻ったのはわずかに三人、……」。
下208『王』「乏しい顎鬚あごひげはこぶのような無骨ぶこつな顎に乾いたこけのように散らばっていました。脚は短く、腕は太く、体も厚みがあってずんぐりしていました」[/(『王の帰還』上一七〇頁)]。
『王』「そして突然馬鍬砦のプーケル人たちを思い出しました。あの古い彫像の一つがここに生を得て生き返ったのか、それとも、遠い昔の今は忘れられた技工たちによって用いられたモデルたちの血を限りない年月の間正しく伝えてきたその直系の子孫であるかもしれません」[/(同書一七〇頁)]。
『追』『指輪物語』追補編B[の「第三紀」の頭書/第三紀の頭記一〇三頁]部分に、「イスタリ」についての簡単な記述がある。「最初の影が緑森大森林をかげらせた頃、イスタリすなわち魔法使たちが中つ国に現われた。後世になって伝えられるところでは、かれらはさい果ての西の地から来た使者であり、サウロンの力に抗し、かれに抵抗する意志を持つ者たちすべてを結び合わせるために遣わされたということである」。
『旅』([『指輪物語』の/]『旅の仲間』第四章[/一八一頁]、一行がモリアに入った時にアラゴルンがガンダルフを称して言う。「かれは、ベルーシエル王妃の猫よりも確実に、真っ暗な夜、家に戻る道を見いだせるのだから」)
下232『二』「フオルン」の項 『二つの塔』上第九章[/二九一頁]のメリアドクの言葉と比較せよ。「かれらはまだ声を失っておらず、エントとは話をすることができる--それでフオルンと呼ばれているんだって木の鬚がいってるけどね。」

中つ国補完計画(x)