山本幡男の遺書には、死んでゆく自ずからの無限の思いを何としてでも家族に伝えたいという執念が込められています。


その遺書の暗記を託された人たちは、その執念に心を打たれ、さまざまな悪条件に屈せず使命を果たすことを自らの執念としました。


辛うじて自分のところまで届くことができた一つの悲運の魂の声に激しく感応した辺見じゅんさんは、3年間、文字通り寝食を忘れて日本各地を尋ね歩き、あらゆる資料かき集め、いわば作家としての執念に取り憑かれて稀代の名著を書き上げました。


肥田舜太郎先生の執念はスケールがとてつもなく大きいです。原爆投下のその日から医業を引退するまでの64年間、ひたすら6000人余りの被爆者の治療にあたり、その間核の非業を世界に訴えるべく37国で遊説を行い、福島原発事故が勃発すると90歳を越える老躯をものともせず全国各地で400回の講演を行って内部被曝の脅威を説きました。核廃絶を願う一念を生涯にわたって貫かれたのです。


この肥田先生のドキュメンタリー映画『ヒロシマ、そしてフクシマ』にかけるプティジャン監督の執念も並のものではありません。
だれに頼まれたわけでもないのに、監督は私財を投げ打って異国の医師に関するドキュメンタリー映画の製作に取り組み、はるばる日本まで三度来て撮影を行いました。

残念ながら監督は日本語ができません。だから映画の編集にあたっては収録された日本語の一語一語にフランスの訳をつけてもらった上で、その言葉の長さを0.1秒単位で正確に測っていちいちマークしなければならならないのです。恐ろしいほど手間のかかる作業です。このため撮影が終わってからも編集作業にずいぶん時間がかかりました。

また映画の中には広島原爆患者の生々しいカラー映像がでてきます。これはアメリカ軍が秘密に撮影したものですが、プティジャン監督は米国立公文書館所蔵の軍関係の資料をネット上で執念深く丹念に探ってついにこれを発見したのです。


これらの人達とそれぞれの縁で結びついている私も、一つのささやかなな執念にとりつかれています。今を生きる偉人、肥田舜太郎医師の言動を記録するこの映画を出来るかぎり多くの人々に見てもらうために、本格的な映画館で公開上映したいという願望です。