『誤訳 迷訳 欠陥翻訳』の欠陥について


2004.4.19 高橋誠

 別宮貞徳著『誤訳 迷訳 欠陥翻訳』(文藝春秋1981年7月20日第3刷)は、

ある人がのめりこんでやっている仕事を批評するからには、少なくともそのやっている人と一緒に、その世界に向き合うことが最低限のモラルだと思うわけで、その点あの批評文は品性下劣というか、非常に不愉快なもの
(1985年9月15日「幻想文学」12号「回想の瀬田貞二」の菅原啓州氏の言葉より)

なのはもちろんなのですが、事実誤認の例もあったのでご報告します。

■この朝、……ビルボが見たひとは、ただの年よりの小人でした。(一三頁)
 All that.....Bilbo saw.....was an old man with a staff.(p.15)

「杖をついた」が抜けて「小人」がはいったのは、不注意だろうか。いや、しかし、この年よりは実際は小人ではないような感じがする。あとに出てくる記事によると、ほかの小人たちが小馬に乗っているのに、彼だけはりっぱな馬に乗っているし、少なくとも作中で彼が小人だとはどこにも書かれていないようである。
(『誤訳 迷訳 欠陥翻訳』五七頁)

 別宮氏はこんな単純な間違いの原因をテキストの違いとは想像だにされなかったのでしょうか。岩波書店の『ホビットの冒険』にはテキストは、
 The Hobbit, Second Edition by J.R.R. Tolkien 1951
と明記されていますが・・・
 The Annotated Hobbit, introduction and notes by Douglas A. Anderson, Houghton Mifflin Company 1988のAppendix A: Texutual and Revisional Notesによると問題の箇所は、1966年に訂正される前は

 a little old man with a tall pointed blue hat

でした。つまり、別のテキストを見てそれを確認もせずに「批評」していた訳です。こんな態度の批評については、「監督官庁の改善命令」が必要かと思われます。また、こんな単純ミスを見逃す文藝春秋社の編集者の目は「節穴」ではないのでしょうか?

■「いえいえ、そんなことはありません。お年よりしゅう。」(十五頁)

相手はひとりなのに「しゅう」とは何ごとか。
(『誤訳 迷訳 欠陥翻訳』五九頁)

 別宮氏は日本語に不自由な方のようです。『広辞苑』(岩波書店第三版)によると、

他の語の下に添えて、軽い敬意や信頼の情を言い表す語

という意味もあるので、必ずしも複数であることを示さないようです。

 こんな「批評」を瀬田貞二氏が気にされていたとは本当に残念です。
 あとがきによると、雑誌「翻訳の世界」(現在「eトランス」に改名)に昭和53年から、2年半あまりで連載したもの。別宮貞徳氏の言によれば「翻訳の世界」の編集者の目も文藝春秋社の編集者同様「節穴」だったようです。
 この文の悪影響は今も消えておらず、『ホビットの冒険』と取り違えて『指輪物語』の訳が誤っている論拠として、使われたりしています。困ったものです。


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