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寛政3年建造。飛鳥山石工・安藤富五郎銘のある六地蔵

見次山松寿院 延命寺 板橋区志村1-21-12


地下鉄三田線・志村坂上駅の西、中山道と首都高速5号池袋線との中間にある真言宗のお寺です。近くの中台にも延命寺があるので志村延命寺と呼ばれています。
石柱鉄扉の山門を入ると柵の向こうに延命寺会館があり、右に中門があります。
中門の正面が本堂、右に庫裏、手前に鐘楼が建っています。左には会館に通じる門、石仏を祀った小堂、三佛を肉彫りした石塔があります。
また、鐘楼の裏手には石碑、石仏が安置されたコーナーがあります。それらのうちには建長4年(1252)銘のある板碑と隠れ切支丹灯籠があり、板橋区の文化財に指定されています。
六地蔵は中門のすぐ左、会館への門の手前に塀の庇を雨よけにして並んでいます。台石の正面には二人の戒名と命日、中央下に「霊位」の文字が刻まれています。命日には「天明4(1784)年」「天明6年」「寛政2(1790)年」が見えます。
左端の台石側面には「六地蔵尊建立大願成就 武州豊島郡志村 施主 ◯◯◯◯ 寛政三辛亥二月十三日」とあり(上段写真右上)、建造は1791年です。
像容は左から幢幡、柄香炉、宝珠に錫杖、合掌、宝珠に施無畏印、数珠の姿で、像高は90cmです。頭部は六体とも折れてしまったようで、かなり大胆な繋ぎを施された地蔵もありました。唇は白く塗られている地蔵がいました。
石材の表面が粗くなっていて、鑿痕が甘くなっていますが、持物やそれを持つ指の表情など丁寧に造られているのがわかります。
(2016.11)

*)再訪(2025.05.14)
今年に入って石工の銘の入った石仏、石塔を探し歩いていましたが、駒沢史学「東京都区内近世石工銘集成」に「延命寺・寛政三年・地蔵・石工安藤富五郎」を見つけました。
当寺には石仏で大きな地蔵菩薩像はこの六地蔵以外にはないようだし、近くにある延命寺地蔵堂にある地蔵像?かとも思いました。
塔形式の六地蔵には石工銘入りのものがありましたが、六体形式の六地蔵に石工銘入りのものには疑問もありましたが、 ひょっとしてこの六地蔵ではないかと淡い期待を持ちながら確認のために再訪しました。
ありました。六地蔵を載せる基壇の左側面に「飛鳥山/石工/安藤富五郎/廣重」と刻まれていました(上段写真右下)。

境外墓地になっている延命寺地蔵堂には多くの石仏、石塔が安置されています。その中に弘法大師塔と閻魔大王塔があり、そのどちらにも石工銘が刻まれています。こちらは同じ「飛鳥山/石工」でも「安藤」ではなく「伊藤富五郎」と刻まれています。(後日報告予定)




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