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赤痢の死者供養塔として建てられました

有蓋四角柱六地蔵塔  武蔵村山市三ツ木4丁目2−16


青梅街道・峰交差点の北側、野山北・六道山公園の北の端にあります。近くの阿弥陀堂を過ぎて、公園の山道を登ること10分強、頂上と思われる平地の三叉路に建っています。
三面に二体ずつの地蔵尊が刻まれた四角柱六地蔵塔です。
背面には明治30年(1897)8月から11月に赤痢が大流行し、51名の人が亡くなったためこの地で火葬したことや、中藤・横田・三ツ木・岸の4か村の念仏講の人々が浄財を集めて供養のため造立したという銘文が刻まれています。
塔はきれいに手入れされた植え込みに囲まれています。基壇から笠まで3m弱、柱の部分は縦75cm、幅35cmです。
舟型の龕の中に一つの蓮台に二体の地蔵尊が浮き彫りされています。
像容は正面が数珠と合掌、左面が柄香炉と幢幡、右面が宝珠に錫杖と宝珠に施無畏印の姿です。
彫りは浅目で、数珠以外の持物は小さく、顔は四角く大人の顔立ちです。
何度か倒れたようで、柱には二、三の亀裂が走っていました。
ヨーロッパの街角でペスト被害の供養塔を何度か目にしたのを思い出しました。同じ供養塔でも建てられる場所がずいぶん違うものです。 (2019.09)

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