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右裏の持物は龍頭宝蓋?、人頭杖?

高勝寺旧参道 六地蔵幢  稲城市坂浜556

京王相模原線・稲毛駅と若葉台駅のちょうど中間あたりに位置します。
稲城駅からのバスで鶴川街道の坂浜停留所が最寄りになります。坂浜信号を天神通りに。左カーブ手前の三叉路を左に入ると、次の三叉路の正面にコンクリート製電柱ととも六地蔵幢は建っています。
線路ぎわにある天台宗の高勝寺とは相模原線の線路を挟んで反対側にあります。そのまま三叉路を左に行って線路をくぐると高勝寺坂通りに出ます。
六地蔵幢は二段の台石、反花、蓮台、柱、笠でできており、全高350cm以上ありそうです。現場では分かりませんでしたが、資料によれば安政七(1860)年に建てられたようです。
台石の正面には「天下泰平 国土安全」左側面には「村中 他檀中」、他の二面には「〇〇〇〇 一金貳百匹」など寄進者の名前がぎっしり刻まれています。
浮き彫りされた像容は円光背を持った立像で写真左から合掌、数珠、幢幡(正面)、宝珠に施無畏印、龍頭宝蓋?、宝珠に錫杖(裏面)に見えます。正面の幢幡(写真左)と右裏面の宝蓋に見えるもの(写真右)を掲載しました。
以前に三鷹市・春清寺で<龍頭>宝蓋に出会ったことがあります。
先端部分の形から<人頭>に見えなくもありませんが、組合せ上、人頭杖では無いでしょう。飾りの幡の部分が長いのですが宝蓋だと思います。幢幡持ちが二体の六地蔵の組合せもないと思いますので。
寺が保有する昔の絵図によれば、今とは異なり本堂は西向きで、伽藍配置も大きく違っていたようです。山門も今と違って敷地の西端にあったと思われます。というわけで、現在は敷地の東端にある山門は高勝寺坂通りに面していますが、その昔は鶴川街道、天神通りに通じる、京王相模原線の西側からの道が参道だったということでしょうか。
国情不安な江戸末期の村民の気持ちが表れた六地蔵幢がここに保存されていました。 (2019.05)

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