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280年の風雪に耐えて

福寿山 徳蔵寺  東村山市野口町2-12

西武新宿線・東村山駅の北1200mのところにある臨済宗のお寺です。
通りに面して左右に石柱が立ち、山門、境内左に江戸時代、近くの八国山から移した永春庵、その奥正面が本堂、本堂左から奥に墓地となっています。
境内の右側には大きな建物があり、板碑保存館になっています。ここには永春庵で所蔵していた板碑で、国重要文化財に指定されている<元弘の板碑>などが保管されています。
六地蔵は永春庵と本堂の間のお堂の中に合併した正位寺跡から移した地蔵群とともに祀られています。
六地蔵は角柱台、蓮台の上に載り像高は64cm、像容は左から幢幡、宝珠に錫杖、宝蓋、合掌、両手で宝珠、柄香炉です。
石質が軟らかそうなこともあって風化がかなり進んでいます。法衣の襞、持物の形も崩れがち、顔の表情はほとんど分からなくなっています。
左から2番目、宝珠に錫杖の地蔵は他の5体と法衣の袖など、少し造りが異なっています。
台石には「六十六部供養」「奉納大?妙典」「三界万霊」など大きくそれぞれの銘が入り、願主名、施主名、紀年銘なども左右に刻まれています。こちらも風化が進んで読みづらいのですが、うち一つに「元文元丙辰 (1736)年十月二十四日」と読める銘がありました。
正位寺跡から移した地蔵群は10体で、大小の丸彫地蔵立像が4体、小さな船形光背地蔵立像が6体ありました。
ほとんどが宝珠に錫杖と合掌の姿ですが、1体だけ柄香炉持ちの地蔵像がありました。
地蔵堂の手前に建つ大きな石燈籠には「奉献石燈籠一基/武州増上寺/惇信院殿尊前」「寶暦十一辛巳年六月十二日/堀田梅之丞紀?」の銘がありました。
近江堅田藩主・堀田正富(?)が徳川9代将軍・家重の墓前に奉納した石燈籠のようです。増上寺の徳川将軍家墓所から何故当寺に移されたのか?気になります。 (2020.10)

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